「自分には才能がないから会社がチャンスをくれない」と不満を抱いていた彼のファンが、この言葉を聞いて自身の考え方を改めたという。しかし、高山は2004年8月、試合中に頸髄損傷および変形性頚椎症で脳梗塞となるがリハビリを重ね復帰、プロスポーツ選手で脳梗塞から復帰した前例はないという。さらに、2017年5月試合中頭部を強打、頸髄損傷および変形性頚椎で車イスとなる。現在も首から下がマヒ状態の中懸命にリハビリを続けている。ファンの前で「プロレスを辞めます」って、自分の足でリングを下りるのを最後に見てもらいたいと、彼はリハビリと格闘中だという。
元バンドマンから農家に。「有機農業は儲からないと言われるが、僕はその逆、有機農業でもうけることが出来ると証明しているつもり。そのノウハウを伝授したい。農薬を使わない有機農業は自然を守り、人々との健康を守るために絶対必要。有機農業をみんながやるようになったら、田畑から日本は再生する」「農薬や除草剤を使わないことで河川への汚染が防げるし、ひいては深刻化する海洋汚染の予防にもなる。これまで環境の汚染源だった農地が浄化源になります」と、最低限の労力で最大限の収穫をあげる有機農法を教えた。
故賀川豊彦は、1909年に神戸の貧民街に移り住み、救済活動とキリスト教伝道に生涯を捧げました。労働組合運動、農民運動、協同組合運動など、幅広く社会運動を展開し、「日本の協同組合運動の父」とも称されている。ガンジーやシュバイツァーと並び「20世紀の三大聖人」とも呼ばれ、平和運動にも尽力した。彼は生涯を通じて人間愛に生き、社会運動やキリスト教伝道に尽くした人物として知られている。「私は神と正義の立場を取ります」と文明批評家として、神と正義に立って社会を批判し、真理の追求に生涯を捧げた
大相撲秋場所は、16年ぶりの横綱同士の優勝決定戦で豊昇龍関を大の里関が制した。日本出身横綱の優勝は稀勢の里以来8年ぶりだった。ところで、今場所前頭16枚目の友風関は9勝と勝ち越したが、彼は障害者手帳所持者とは知らなかった。2019年11月場所前頭3枚目だったがケガ、右膝下切断寸前の重傷で幕内から序二段までに陥落した。医師からは「復帰どころか歩けるまで回復出来れば良い方」の通告も受けるほどの重症だった。粉々になったという大腿骨には骨をつなぐボルトが入っているが、土俵復帰を目指してリハビリに懸命に取り組み、今も腓骨神経まひ状態。右膝から下の感覚がなく足首が動かず、下肢機能障害5級の障害者手帳所持者だ。その友風関が今場所9勝6敗の成績。来場所の活躍が楽しみだ。ちなみに9月は「障害者雇用促進月間」だ。
990年、”12万円で世界を歩く”で旅行作家としてデビュー以来、約30年間バックパッカースタイルで旅をし、多くの著書を出している下川裕治さん。これまで訪ねた国は70カ国以上。一番親しみを感じている国はタイで、「アリとキリギリスって寓話があるけど、タイって、冬がこないキリギリスみたいな暮らしができる国なんだと。また、『日本人は、ゆとりと浪費を混同しているのではないか、と思えてくる。とも。
彼は、巧みにグラブを持ち替えて、左手のみで投球、捕球、送球。それでも、守備は平均以上であったという。ノーヒットノーランを達成する等大リーガーでの通算87勝をあげた。そのアボット氏と重なるような選手が、今夏甲子園で見られた。県岐商の横山温大選手。生まれつき左手の指がないとは思えないほど、攻守に活躍が光った。左腕よりひと回りも太い右腕。180kgのバーベルを担ぐという驚異的な筋力は、彼の並外れた努力の証である。ひたむきに白球を追う横山君の活躍もあって県岐商業はベスト4入りした。彼は「ハンデがあっても、戦える姿を見せたいんです」と爽やかだった。
タレント清水ミチコさんが「”花”すべての人の心に花を(歌手夏川りみ)」の歌を”米”の題名で替え歌をユーチューブ披露している。歌詞だけを紹介します。『米は流れてどこどこ行くの、高い値段もどこまで行くの。誰か転売に止めてれるのならば、何時の日か何時の日か警察にタレコミたい、出しなさい渡しなさい、何時の日か飯は飯でも冷や飯めしあがれ。米は米でもトランプの国、最近大統領でスランプの国、トランプさんは頭の中もアメリカだけに、人として人として鼻も高そうよ、買いなさいアメリカ米もっと、いついつまでもいついつまでも、こっちはてんてこ米。買いなさいアメリカ車もっと、暫くは暫くはこっちがクライスラー』。今週の参院選で米票はどこ行くのだろうか。
あの「4番サード長嶋…背番号3」が逝った。燃える男、ミスタープロ野球とも称され「アンチ巨人」はいても「アンチ長嶋」はいないとも。各界から追悼の言葉が。
「あなたは日本の健康優良児でした。存在そのものが日本人の誇りでした(王)」。「その強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください(松井秀喜)」。「優しい一方で練習には厳しい人(江川卓)」。「会うだけでパワーをもらえるような存在(三浦大輔監督)」。「球界そして日本の宝(井上一樹監督)」。「常にファンがどうすれば喜ぶかを考えていた人(高田繁)」。「すごく絵になる人 憧れあった(山本浩二)」。「元気と勇気 希望を与え続けてこられた(川淵三郎)」。「団塊の世代にとって一番の楽しみだった(ねじめ正一)」「家族と過ごすときは父は本当に太陽のように大きくて明るくて温かい日差しを家族に毎日降り注いでくれた。長嶋家は毎日青空で太陽のように笑顔をたくさん振りまいてくれた(次女長嶋三奈)」「ミスタープロ野球は永久に不滅です(原辰徳他多数)」
【追悼】1月28日に亡くなったの森永卓郎さんの追悼TV番組「がっちりマンデー」から。森永は、『社会に出てから44年。その間ずっと貫いてきた信条は「今やる、すぐやる、好きなようにやる」ということ。周囲に忖度することなく、自分が正しい思うこと、やりたいと思うことを常にやってきた。だから仕事はカネを稼ぐための手段であるといよりも遊びに近いものだった。とりあえずやってみて、間違っていたり失敗したら、素直に謝るというのが仕事のスタイルなのだ。彼の場合人生でやり残したことがほとんどない。これまでの仕事で遊んで遊び尽くして、やりたいことはすべてやってきた』と。同番組のMCでタレントの加藤浩次は20年共演した森永さんを偲び「まず人生っていうのは明るく楽しく生きるべきなんだってこと。そして決して驕らないってこと、そして諦めないてこと」を教わったと涙をこらえながら感謝した。
今年に入って引退報道が多く見られた。横綱照ノ富士の引退、元プロ野球選手イチローの引退後の日米野球殿堂入り、元スマップのリーダー中居正広の芸能界引退。そして、「ドクターイエローT4」の引退。新幹線の電気設備や線路の状態を走りながら確認する、「新幹線のお医者さん」と言われた。目撃すると幸せになると言われ「幸せの黄色い新幹線」と呼ばれ157万キロも走って引退した。