仏教では、布施をするときに大切な心が3つあると教える。①自分がしてやったという思い上がりの気持ちをもたない。②見返りをもとめない。③後悔をしない。(施しを通じてそのご縁を温めることが、今こそ必要で、施しも食べ物やお金だけでなく、親切、笑顔など、色々ある。自分の身の丈でできる施しでご縁を温め、みんなで豊かになっていくことこそ、真の豊かさと言えるのではないでしょうか)と
藤は不死につながることから長寿や子孫繁栄の花とも言われる。その藤の花を隣町の「安望藤園」で楽しんできた。樹齢約130年の藤が5本あり、藤棚には優しい紫色に囲まれた花が咲き、甘い香りが漂っていた。藤の花はなぜ紫色なのだろう。明治の作家斎藤緑雨は、「青皇の春と、赤帝の夏と、行会の天(ゆきあいのそら)に咲くものなれば、藤は雲の紫なり」と。青い春と、赤い夏とが出会う空に咲くから、藤の花は紫色なのだ、とジョークを記している。
11日は中西太さんの一周忌だった。「投手の肩口を抜けた打球がバックスクリーンを越えていった」。「ベンチ前で素振りをすれば相手側のベンチまで音が聞こえた」。どこまで本当か分からないような逸話があった。“怪童”と呼ばれ豪快なスイングで弾丸ライナーを放ち、鉄腕・稲尾和久、青バットの大下弘らとともに西鉄ライオンズの黄金期を支えた人だった。
米・露・仏・豪国など、一般的に学校での宿題が出ないという国が多く、出てもわずかなプリントだったり、読書だったり。仏では、子供の過労のリスクを回避するためなどの理由で宿題を禁止しているという。ところで戦争や社会不安、政治不信に覆われる今の時代、神様が見えなくとも信じるものを持ち続けられるかが問われているが、ウクライナやガザ地区では、暗闇の中戦争に脅えながら、神様を見ようとする多くの子ども達がいる。この宿題には誰か答えて欲しい。
【折々のことば-鷲田清一(朝日新聞1/30付け)から】『話しあえば何かが分かちあえるというのは大きな間違いじゃないかと、NHKの元アナウンサーは言う。人との語らいの中で大切なのは聴きあうことだと。主張をぶつけあうだけだと、相手にふれることなく終わる。聴く側の「聴こう」という姿勢があってはじめて、相手から言葉が零(こぼ)れ落ちてくる。言葉の肌理(きめ)がこちらの「肚(はら)の底」に沈む。【こころの声を「聴く力」】から』また、故天野祐吉(コラムニスト)さんは「言葉でつながっていれば、言わなくても、自然と絆は生まれる」と。総理の得意な聴く耳は国民と言葉でつながっていますか?。
先週の中秋の名月が、明るい真ん丸のお月様が自宅の庭を照らしていた。中秋の名月と満月が一緒になるのは3年連続で次回は7年後だとか。ところで、月の満ち欠けのタイミングに合わせて海水を取水した塩、「満月の塩」「新月の塩」「中秋の名月の塩」があるそうだ。月の満ち欠けにより、潮が動き海中のプランクトンの動きも活発になり、どのタイミングで取水するかにより、塩の味が変わるとか。「満月の塩」は、しょっぱさ、酸味、うまみ、甘味、苦味、雑味など、塩の味覚が全般に強目で、赤身の肉や魚などの味の濃い食材に合うとか。「新月の塩」は、味まろやか、潮の香りが強目、後味がクリア。魚介類や海藻類と相性が良いとか。「中秋の名月の塩」は同じ生産者の通常時の塩と比較すると、若干複雑味が強くなり味がふくよかだとか。あなたはどんな塩が好きですか。
お茶漬けなど食品製造業の永谷園は社員数2500余名で、”ぶらぶら社員”が1人いる。社員の任務は、新商品開発に結びつく情報を会長に伝えるだけ。そのためならどこで何を食べてもOK。交通費を含む経費全てが会社負担で上限はない。出社も自由。文字通りぶらぶらすることが仕事で任期は1年だという。前任者は任期2年で海外も行き「麻婆春雨」というロングセラー商品を生みましたとか。なんとも羨ましい。
人から受けた恩をその人に返すのは「恩返し」だが、別の誰かに送るのを「恩送り」という。恩とは恵みや情けのことで、「恵む」と読みが同じ言葉の「芽ぐむ」は草花が芽吹くことをいうと誰かが言っていた。春彼岸、残雪残る土手に草木が芽ぐみ始めていた散歩道、ふと逝ってしまった恩人達を想いだした。
『九十歳。何がめでたい(佐藤愛子著)』から。「進歩というものは人間の暮らしの向上、ひいては人間性の向上のために必要なものであるべきと私は考える。我々の生活はもう十分に向上した」「調べたり考えたりしなくても、すぐに答えが出てくるスマホがこれ以上進化すると、日本人はダメになる…日本人総アホ時代が来る!」と現在98歳の彼女は警告する。
岸田総理は、聞く力をアピールしていた。しかし、コロナ患者の全数把握の見直し、原発の新増設の検討、元総理の国葬問題、旧統一教会問題等について、国会や国民の声を聞こうとしているのかが解らない。総理の「聞く」の五段活用は、「聞かない、聞きたくない、聞けない、聞こうとしない」ようにも思える。国民は今総理に、聞く力より説明力を求めていると思われる