戦後最大の疑獄といわれるロッキード事件を捜査した元東京地検特捜部検事、緻密で鋭い捜査手法から「カミソリ堀田」の異名をとった。退官後は公益財団法人を設立して福祉活動に尽力した堀田力氏が老衰のため、11月24日逝去。『好きな言葉は、挑戦。時代を良くしたい、社会の役に立ちたい、という夢に向け最後まで挑戦を続けた生涯だった。(読売新聞12/4付けから)』【合掌】
彼は以下の詩を残した。”If I must dai(もし私が死ななければならないのなら)”『もし私が死ななければならないのなら/あなたは生きなければならない/私の物語を伝えるために/私の遺品を売り/布切れと少しの糸を買うために(長い尻尾のついた白いものにしておくれ)。ガザのどこかにいる子どもが天を仰ぎ見て/炎に包まれ旅立つ父を待つとき/その父は誰にも別れを告げられなかった。自分の肉体にすら/自分自身にすら。あなたが作る/私の凧が舞い上がるのを子どもが見て/ほんのひととき/天使がそこにいて/愛をまた届けに来てくれたと思えるように。もし私が死ななければならないのなら/それが希望をもたらしますように/それが物語となりますように』。絶望の中から生まれた一編の詩、ガザから世界へ拡散した詩だ。今も連日、ガザで続く激しい空爆。戦火はレバノンにも広がり周辺国を巻き込んでいる。
大谷翔平さんが高校生の時に寮のベットの壁に貼ってた言葉だとか。これは、戦国武将・武田信玄の言葉の一部。全文は、「実力の差は努力の差、実績の差は責任感の差、人格の差は苦労の差、判断力の差は情報の差、真剣だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳ばかり、本気でするから大抵のことはできる、本気でするから何でも面白い、本気でしているから誰かが助けてくれる」。さすが、結果を出す人間は違う、日米での二刀流の活躍、ドジャースでの「50―50」達成。そして、WBC世界一、など数々の偉業を成し遂げている大谷が、花巻東時代から大切にしていた言葉だとか。夢でなく目標だったワールドシリーズ優勝おめでとうございます。
(小説:井上ひさし著「父と暮せば」)で、「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」原爆で愛する者たちを亡くした美津江は、一人だけ生き残った負い目から、恋のときめきからも身を引こうとする。そんな娘に父は、広島であんなにむごい別れが何万もあったことを覚えてもらうため、おまえは生かされている。「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが」と。今年のノーベル平和賞に「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)が選ばれた。被日本被団協の爆者たちは「許さない」でも「覚えておけ」でもなく、ひたすら「繰り返さないで」と訴え続けてきた。それが世界のどんな場所でも。「ノーモア」は人類の未来に向けた願いだ。だから世界の言葉になった。そしてノーベル平和賞になった。
沢山の涙も見せてくれたパリ五輪が終わった、柔道女子の阿部詩の敗退時の号泣。「武道家として、あれほど泣きじゃくるのはいかがなものか」「本当に頑張っていなければ、あそこまで泣けない」等々。準決勝で敗退した競泳女子の池江璃花子選手は、7分間立ち上がれず涙ながら絞り出すように言った「ここまでの努力は何だったんだろうと思う」。一方嬉し涙「団体の金メダルだけでお腹いっぱい。悔しい気持ちより、幸せすぎて涙が出ちゃって。悔いの残らない大会でした(体操・男子個人総合で連覇を期待されながら叶わなかった橋本大輝)」。「もう、うれしいんですけど、嬉しいだけじゃ足りないぐらい。本当に言葉にできないぐらいな気持ちで、いまだに実感がわかないです(女子やり投げで金の北口榛花)」。悔し涙、嬉し涙、おろおろ涙、感涙等様々をみせくれた五輪、ありがとう。
5月3日は憲法記念日だった。朝日新聞世論調査(5/5付け)によると、戦争放棄や交戦権の否認などを定めた憲法9条が「日本は戦争をしないですんできた」と共感する人が8割を占めていたと。戦後、日本は一貫して平和国家としての道のりを歩んできた。「過ちは二度と繰り返さない」と不戦の誓いを立て、9条を有する日本国憲法のもと、日本国民が戦争で他国の人を殺したり、殺されたりするようなことは一度もなかった。第二次世界大戦後戦争をしていない国は世界で10カ国に満たないと言われているが、日本はその戦争をしていない国のひとつだ。私は日本国憲法制定の翌月6月生まれ、憲法と共に喜寿の77歳を迎えた。いまの憲法9条では日本防衛に支障があり改憲をとの意見もあるが、これからも戦争をしていない国であり続けて欲しい。
西行は、望んだ歌のとおり河内の弘川寺(大阪府河南町)で桜を見ながら静かに息を引きとったという。飛騨の桜は、散り始めた場所もあるが、今まさに春爛漫だ、散歩途中花から花へとミツバチたちが密を求めて飛び交う景色に出会うようになった。ところで、養蜂業者によれば、「ミツバチの行動範囲は2~4㎞、あれが人間なら、50~60代の女性がスイカを2玉両脇に抱えて駆け回っているようなもの」だとか。
そして、新入幕優勝は、1914年(大正3年)以来、110年ぶりの大快挙。大銀杏が結えない“ちょん髷”優勝は史上初。殊勲、敢闘、技能の三賞総なめのおまけまでつきだった。「昭和のお相撲さんはケガをしても出ていた。靭帯損傷ぐらいは大したことはない。土俵に上がれば、スポーツというより男の勝負。土俵に上がれば、何かが生まれる。ケガを忘れて土俵に上がりました」と。優勝インタビューで「相撲は好きじゃないが、応援してくれる人のために続けられる。それが幸せ」とも。24歳の若武者は、男の勝負で、記録にも記憶にも残した。アッパレ!。
タレントの黒柳徹子さん、歳をとったらやってみたいのは政治記者だとか。「90歳を過ぎたら政治の勉強をして、100歳くらいで総理!総理!といろんなことを聞きたい。100歳の人が質問しているのだから、きっと答えていただけるでしょうネ」と。出来れば今すぐ政治記者をやっていただきたいものだと国民の多くは思っていますヨ。
米・露・仏・豪国など、一般的に学校での宿題が出ないという国が多く、出てもわずかなプリントだったり、読書だったり。仏では、子供の過労のリスクを回避するためなどの理由で宿題を禁止しているという。ところで戦争や社会不安、政治不信に覆われる今の時代、神様が見えなくとも信じるものを持ち続けられるかが問われているが、ウクライナやガザ地区では、暗闇の中戦争に脅えながら、神様を見ようとする多くの子ども達がいる。この宿題には誰か答えて欲しい。
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