二百十日は、立春の日から数えて210日目の日、今年は8月31日だった。台風が来襲する厄日とされ,まさにこの日に合わせたような台風10号の襲来だった。この時期、風の害を防ぐための風祭が各地で行われる。富山市八尾町の「おわら風の盆」もその一つ、豊作を祈るとともに、風の災害がおこらないことを願う行事、編み笠を目深に被った男女が、哀調ある音色を奏でる胡弓や三味線、越中おわら節の唄に合わせて、情緒豊かに町を流した三日間が今夜終わる。
木材や木造建築には、人のストレスを少なくする、疲れにくくする等、生理的な効果や身体的効果があるという。住友林業筑波研究所苅谷健司上席研究員によると、ある実験で二つの部屋を用意。一つは中を木で囲い、もう一つは白い壁紙で覆った部屋で人を快・不快にする画像を見てもらい、脳波を計測。その結果、木の部屋の方がストレスがたまりにくかった。また、床に杉材を使った部屋と、杉柄を印刷したシートをコンクリート上に敷いた部屋を用意では、心地よさストレス度も杉材の部屋の方が良かったという。実験結果、人は木にふれることで「よく眠れる」「優しくなれる」「集中できる」といった結果を得られたという。タワーマンションにも木材も壁や床材が使われているかのチェックが必要かも。
住友林業筑波研究所の研究実験によると「白い壁紙で覆った部屋」より「木で囲った部屋」の方が脳波測定でストレスが低く、「コンクリートの上に杉柄プリント」より「杉材の床」の部屋の方が、血圧測定等ストレスが低く、木の効用・効果などがあったという。その外①思考力を持続させる②緊張を和らげ、集中力を持続③脳を活性化する水平の木目④ストレスを溜まりにくくする⑤時の流れを短く感じさせる⑥目に優しい反射光⑦記憶の想起等をあげている。そういえば、親という字は木の上に立って我が子見守るともいう。また、木の軽くて強いという特性を生かして、住友林業と京都大学と共同で、来年「木造人工衛星」の打ち上げを目指しているというから楽しみだ。
冒険家で90歳の三浦雄一郎さんが先月富士山への登頂を果たした。現在下半身に麻痺が残っている中、自力歩行だけではなく、ときには車イスも使いスキー学校の関係者や家族らに支えられながら登頂した。山頂では、彼が名誉校長を務めている「クラーク記念国際高校」の生徒等も出迎えたというが、その高校の校歌「はじまりの日に(高石ともや:作詞・作曲)」の一節には『なくしたものを数えるより いまある力を寄せ集めて 歩き出す それが自由 それが自由 私の道』だとか。下山後彼は新たな目標に「自分の脚で富士山に登りたい」と強い思いを語ったという。
芭蕉の名句に「五月雨 集めてはやし 最上川」があるが、この元句は、「五月雨を 集めて涼し 最上川(梅雨を集めたような最上川から吹いてくる風が涼しいことだ)」だったとか。その句を詠んだ6日後、芭蕉は急流の川下りを経験して、その激しさを感じ、「五月雨 集めてはやし…」と変更したとか。川下りは、旧暦の6月3日(新暦では7月20日頃)で、今の時期に芭蕉は川下りを体験したこととなる。最近の秋田市等の豪雨災害報道をみていると、「五月雨を集めて恐し……」となるのだろうか。
観測史上最強の勢力になるかと一時は警戒された台風14号。九州や本州に再上陸を繰り返しながら、風や雨の影響は広い範囲に及んだ。ところで、気象庁は1時間当たりの雨量(㎜)と強さを5段階に分類している。強い順から⑤猛烈な雨(80㎜以上)。息苦しくなるような圧迫感がある。恐怖を感じる。④非常に激しい雨(50~80㎜)。滝のように降る(ゴーゴーと降り続く)。③激しい雨(30~50㎜)。バケツをひっくり返したように降る。道路が川のようになる②強い雨(20~30㎜)。どしゃ降り。ワイパーを速くしても見づらい①やや強い雨(10~20㎜)。ザーザーと降る。老子の時代の紀元前と違い、近年は線状降水帯による、長時間停滞する豪雨や災害にに注意が必要だ。
冷蔵庫にアイスクリームを欠かせない今夏だが、平安時代の清少納言の枕草子にも「あて(上品)なるもの」として「削り氷(ひ)にあまづら(甘味料)入れて」と出てくる。飛騨でも真夏日や猛暑日が続く。コロナ終息祈願と涼を求めて神社へ行ってきた。初詣に対し1年の折り返し点となる7月1日から神社仏閣にお参りに行くのが「夏詣」だとか。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)を退職した宇宙飛行士の野口聡一さん。「地球は確かに青かったが、それ以上に印象的だったのは”まぶしさ”でした。太陽の光を反射する地球の圧倒的なまぶしさに驚いた。そして光まばゆい地球と、真っ黒な世界である宇宙のコントラストに衝撃を受けた。4K、8Kのどんな精細な映像でも伝えられないでしょう」。「宇宙は基本的には死の世界。生きていることは奇跡だと感じた」。「(船外活動で)眼下の地球はこうこうと輝き、握った手すりは太陽の光で熱を帯びていた。手を離せば無の世界に行ってしまう。目の前の宇宙は”360度、光が来ない何もない景色”星すら見えない暗闇に、恐怖を覚えた。だが、まばゆい輝きのISSと地球があった」と。
【東日本大震災】☆震災から11年。照井翠は震災のとき,釜石高校の教員で、生徒らと避難所生活を送った。被災三年目にはこう書いている。私達は3月を愛さないし、3月もまた私達を愛さないと。悲しみは薄まらないし、心の傷も癒えないと。廃墟となった鵜住居の津波砂漠を歩いていると、心がずたずたに引き裂かれる。三年目にして深まる喪失感と絶望感に打ちのめされる。『(句集から)三・一一神はゐないかとても小さい/別々に流されて逢ふ天の川/人吞みて光の春となりにけり/春の星こんなに人が死んだのか』
☆中学の入学式周りは私服姿、着るはずだった制服は、家ごと津波で流された同級生。自分が制服を着てきたことを悔やんだ少女。「気づけなかった、私だけ家があることを自慢してるみたい」と。学校の各家庭被災状況調査で。「先生、みません(声を震わせながら)家族は全員無事でした。家も被害がない皆に申し訳ないです」。被災地にいたのに、家族も家も無事の後ろめたさから、災について語れなかった少女。そして、津波の脅威を後世に伝える”女川いのちの石碑”設置運動に参加。”女川1000年後のいのちを守る会”会長となった阿部由季さん。「石碑が震災を後世に語り継ぐ一つのきっかけになれば幸いです」と。
小説で主人公は、「本州の北の果ての海っぱた(海端)で、雪降り積る温泉旅館の浴槽に沈んで、いま硫黄の匂いを嗅いでいる」と、青森県風間浦村の下風呂温泉でつぶやく。
凍みるような寒さの中、温泉で湯が滲みて来る。湯上がり後の酒が体に染み渡り、そして人の優しさが沁みる。先週大寒を迎えたが今年の寒さは格別だ、久しぶりに日帰り温泉で温まりたい。