一昨日彼岸の日曜日お墓参りをしてきたが、今年は暖かった。仏教では太陽が真西に沈む春分の日と秋分の日は、あの世(彼岸)とこの世(此岸)が最も近づく日とされている。ところで、太宰治は、「善悪の彼岸という言葉がありますね。善と悪との向う岸です。倫理には、正しい事と正しくない事と、それからもう一つ何かあるんじゃないでしょうかね。ただもう、物事を正、不正と二つにわけようとしても、わけ切れるものではないんじゃないですか……(小説「春の枯葉」)」と。イスラエル・ガザ戦争も露・ウクライナ戦争もそれぞれが正義だと主張しているが……。
東日本大震災から14年が過ぎたが、かって地震学者茂木清氏(地震学者-元地震予知連絡会会長-没年2021年)は、地震予知は可能かの問いに、「それは、癌は治せるか?という問いに似ている。がん治療は容易ではないが、完治する場合もある。地震予知は観測網が整備されてきたことで可能性が高まってきた。絶対に諦めてはいけない」。彼は阪神大震災の前年に予知連会長として「危険性を複数回指摘したものの注目されなかった。もっと強く警告していればと悔いていた」。そして「地震大国の日本は原発の適地を探すことが地球上で一番難しい」とも。
今年に入って引退報道が多く見られた。横綱照ノ富士の引退、元プロ野球選手イチローの引退後の日米野球殿堂入り、元スマップのリーダー中居正広の芸能界引退。そして、「ドクターイエローT4」の引退。新幹線の電気設備や線路の状態を走りながら確認する、「新幹線のお医者さん」と言われた。目撃すると幸せになると言われ「幸せの黄色い新幹線」と呼ばれ157万キロも走って引退した。
加藤さんは「闘いに勝つことでも、仕事に成功することでも、お金を稼ぐことでも得られない幸せ、それは憎しみのない心です」と。そして、81歳になった彼女は、「加齢による変化はもちろんある。難しくなったこともある。でも、老いることはマイナスを重ねることではない。別に若いころと同じに戻る必要はないと思う。高い音が出しにくいならキーを下げる、低い音を開拓する。後戻りしないように、加齢によるマイナスがあるなら、プラスすればいいのよ」と。
(小説:井上ひさし著「父と暮せば」)で、「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」原爆で愛する者たちを亡くした美津江は、一人だけ生き残った負い目から、恋のときめきからも身を引こうとする。そんな娘に父は、広島であんなにむごい別れが何万もあったことを覚えてもらうため、おまえは生かされている。「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが」と。今年のノーベル平和賞に「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)が選ばれた。被日本被団協の爆者たちは「許さない」でも「覚えておけ」でもなく、ひたすら「繰り返さないで」と訴え続けてきた。それが世界のどんな場所でも。「ノーモア」は人類の未来に向けた願いだ。だから世界の言葉になった。そしてノーベル平和賞になった。
娘が七月七日の七夕の日に結婚した。歌手の加藤登紀子さんは『大好きな人を思う日。大好きな事を描く日。心に好きなことを思い描く! それだけで幸せになれる! それが「七夕」』と。また、詩人の相田みつをさんは『しあわせはいつも自分のこころがきめる』と。
この人と夫婦でいられて幸せだと互いが感じられれば、それが相手を幸せにすることにもつながると思う。毎日々々小さな幸せを見つけられる、そんな素敵な夫婦になってください。いつまでもいつまでも幸せで。父より。
5月3日は憲法記念日だった。朝日新聞世論調査(5/5付け)によると、戦争放棄や交戦権の否認などを定めた憲法9条が「日本は戦争をしないですんできた」と共感する人が8割を占めていたと。戦後、日本は一貫して平和国家としての道のりを歩んできた。「過ちは二度と繰り返さない」と不戦の誓いを立て、9条を有する日本国憲法のもと、日本国民が戦争で他国の人を殺したり、殺されたりするようなことは一度もなかった。第二次世界大戦後戦争をしていない国は世界で10カ国に満たないと言われているが、日本はその戦争をしていない国のひとつだ。私は日本国憲法制定の翌月6月生まれ、憲法と共に喜寿の77歳を迎えた。いまの憲法9条では日本防衛に支障があり改憲をとの意見もあるが、これからも戦争をしていない国であり続けて欲しい。
米・露・仏・豪国など、一般的に学校での宿題が出ないという国が多く、出てもわずかなプリントだったり、読書だったり。仏では、子供の過労のリスクを回避するためなどの理由で宿題を禁止しているという。ところで戦争や社会不安、政治不信に覆われる今の時代、神様が見えなくとも信じるものを持ち続けられるかが問われているが、ウクライナやガザ地区では、暗闇の中戦争に脅えながら、神様を見ようとする多くの子ども達がいる。この宿題には誰か答えて欲しい。
【年男】さださんは壬辰(みずのえたつ)の1952年生まれ。詩人、作曲家、小説家などの顔を持ち、コンサート回数は日本一で4400回超え、作曲数600曲以上、著書累計300万部超。彼のアルバムは作詞でなく作詩と表記されている。彼の歌は思わず泣けてしまう歌も多いが、彼のステージは笑いあり涙ありのステージトークは魅力だ。ある落語家が弟子に「さだまさしのコンサートに勉強しに行ってこい」と言ったとか。彼の語り口は大変絶妙で話にぐいぐい引き込まれるてしまう。言葉を大事にする彼は「知っている相手にかける言葉と、初対面の人にかける言葉とでは違う。さだまさしの歌は、不特定少数の『さだまさしを聴こう』と思ってくれる人に届けるという前提条件がある」と語る。聴きたくないと思っている人に歌が届くと思うと、切っ先が鈍るからだと。
浅川氏はケガで中学生のときに失明。しかしその後、様々な困難を乗り越え、日本IBM(株)に入社。WEBの文字情報を読み上げる世界で初めての実用的な音声WEBブラウザ「ホームページリーダー」の開発。IBMの最高技術職であるIBMフェローに、東京大学で博士(工学)の学位も取得。現在、視覚障害者でも自由に街を歩けるようにすることを目的とした「AIスーツケース」開発中。彼女は「障害者もダイバーシティーの一つだと考えて、企業の戦力にする」「人生の中では幸運に思えること、不運に思えること、いろいろな出逢い、出来事がありますが、それを受け入れて進むことによって、より強かったり、より面白かったりする人生が開けるんだなということを、最近しみじみと感じているのです」と。