日米野球殿堂入りしたイチロー。引退後5年後に殿堂入り選考対象の有資格者となり、記者投票で殿堂入りが決まる。イチローは米国殿堂入り確実で、史上2人目の満票も確実との予想だったが、結果は1票足りなかった。しかし彼は会見で「すごく良かった。生きていく上で、完璧を追い求めるのが人生であって、不完全だから進もうと出来る」と。引退してなお自らたどるべき道を探っているイチロー。「誰よりもプロフェッショナルな野球選手。次世代の日本選手たちに進むべき道を示してくれた」。「オールラウンド選手として、どんな体格でも運動能力を伸ばして成功できることを示した。それは彼が残したレガシーだと思う」などと称讃の声あまただ。
1人横綱照ノ富士が引退を先週発表した。朝青龍の21場所に次いで20場所と1人横綱の期間が長く続いた照ノ富士。「横綱を張っている以上、やるべきことをやろうという一つの思いで頑張った。自分のやれることはやったかなと思う」と。大関から序二段まで転落、それでも諦めず、ケガと糖尿病と闘いながら土俵に上がり、横綱までに。陥落してはい上がった根性の横綱は「あっぱれ!」の力士だった。「人を幸せにすることに引退はない」との言葉もある。照ノ富士関、これからも人を幸せにする人生を送ってください。
加藤さんは「闘いに勝つことでも、仕事に成功することでも、お金を稼ぐことでも得られない幸せ、それは憎しみのない心です」と。そして、81歳になった彼女は、「加齢による変化はもちろんある。難しくなったこともある。でも、老いることはマイナスを重ねることではない。別に若いころと同じに戻る必要はないと思う。高い音が出しにくいならキーを下げる、低い音を開拓する。後戻りしないように、加齢によるマイナスがあるなら、プラスすればいいのよ」と。
【巳年】謹んで新春のお慶びを申し上げます。本年も相変わらぬご愛顧を賜りますようよろしくお願い申し上げます。今年の支は乙巳(きのとみ)です。巳という漢字には、「将来・未来がある」、「家族が平和になる」といった意味があるともいいます。皆様にとって、巳(み)のり多き年となりますようお祈りいたします。
巳年にちなんで
み らいは人間の手のなかに(イレーヌ・ジョリオ・キュリー)
ど りょくだ、勉強だ、それが天才だ。だ れよりも三倍、四倍、五倍勉強する者、 それが天才だ (野口英世)
し あわせはほんのすぐそばに、息を殺して待っている (別役実)
【追悼】今年最後のつぶやきは、本年逝去された方々の言葉を集めました。☆ぼくは美しい音楽というのは、日没寸前の、あの大きい太陽のようなものだと思う。(小澤征爾:2/6逝去)☆軽んじられているものをかき集めると、ひとつのパワーに。(山藤章二:9/30逝去)
☆えらいひとになるよりも、よいにんげんになりたいな(谷川俊太郎:11/13逝去)☆人に感謝する人ほど、いい仲間ができるものです。いい仲間は、人の心を強くする支えになってくれる。そして感謝することは、相手とのいい関係を作るには非常に有効な手段なのです(堀田力:11/24逝去)☆「智昭、夢は持つな、夢は夢で終わることが多い、目標を持て」小学校5年生の時に父親から言われ、今も重く心に残る言葉です。(小倉智昭:12/9逝去)
12月6日急逝した中山美穂さん(享年54)。永遠のスーパーアイドルの早すぎる死を悼む声が。「キレイなまま私たちの記憶に残る、これはすごいことやなと思う」。妹の忍さんは『姉は一生懸命な人でした。ちょっと頑固で、バカみたいに正直で、本当は傷付きやすい心を見せず、何があっても自分の責任だと、真っすぐ前を向く勇気がある人でした。自慢の姉でした』。と。「第66回日本レコード大賞」で特別功労賞に選ばれることが決まったという。【合掌】
戦後最大の疑獄といわれるロッキード事件を捜査した元東京地検特捜部検事、緻密で鋭い捜査手法から「カミソリ堀田」の異名をとった。退官後は公益財団法人を設立して福祉活動に尽力した堀田力氏が老衰のため、11月24日逝去。『好きな言葉は、挑戦。時代を良くしたい、社会の役に立ちたい、という夢に向け最後まで挑戦を続けた生涯だった。(読売新聞12/4付けから)』【合掌】
日本全国を自転車で巡るNHKのTV番組「にっぽん縦断 こころ旅」で旅人を務めた火野正平さん。岐阜県にも自転車で何カ所も訪れた。飛彈市の瀬戸川と白壁土蔵そして円光寺、中津川市の見佐島橋から見る付知川の下流の風景、恵那市大井ダムの上を横切り、恵那峡を一望できる千畳敷からの絶景、下呂市禅昌寺の庭、他にも郡上市、美濃市、養老町、各務原市など自転車で旅をした。彼の言葉で、有名なのが、「”人生、下り坂、最高♪”。歳をとると、いろんな面で、”下り坂”を感じることがあるが、変に落ち込まないで、肩の力を抜いて、今の自分を受け入れて、下っていこうよ♪」と。彼は、1200日以上自転車で旅をして、11月14日75歳で旅立った。【合掌】
戦後の日本を代表する詩人が旅立った。70年以上言葉と向き合い、鋭い感性と親しみやすいことばで表現、詩人でありながら翻訳・音楽・映画など多彩な分野に足跡を残した。表現は軽やかに見えるが、反戦の思いを込めた詩などで現代社会に厳しい視線を向ける人でもあった。彼は「人間は直線的に縦に成長しているとおもいやすいが、木の年輪のように、横に一皮ずつふくらんだかのように成長していると考えたほうがいい、輪切りにしたとすると、いつも芯には子どもの時代が息づいているのだ」と。そして「よるになったらほしをみる/ひるはいろんなひととはなしをする/そしてきっといちばんすきなものをみつける/みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる/だからとおくにいてもさびしくないよ/ぼくもういかなきゃなんない(詩「さようなら」)」と。私たちにさようならをして逝った。【合掌】
大相撲九州場所7日目玉鷲関が40歳の誕生日に白星。19歳でデビューして一日も休まずに丸21年連続出場記録更新中。現役最年長の関取は、「人間の体はここまで成長する、できるというのを見せたい。まだ成長中なので」と。40歳以上の現役幕内力士は昭和以降で6人目だ。そして、この日先場所引退した元大関貴景勝が、NHKのTV相撲番組の解説者としてデビューしたが驚いた。現役時代には見られなかった表情が柔らかくなった顔だった。彼は、TVの解説時に冒頭の言葉を信条としていたと言った後「現役の時はつくっている顔の時もあった、でも今は勝負師としては終わったので、楽しくやっていきたいと思います」と温和な顔で話した。彼の大関昇進時の口上は「武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進します」だった。だから現役中は眉間に皺を寄せるような顔つきだったのか。彼は武士道精神を貫いた力士だった。