昨日は令和初の成人の日、新成人は122万人だったという。高山市では12カ所で「新成人を祝うつどい」が開催されたが、高山市企画の新成人を迎える「はたちの思い一行詩」から。「( 芝野遥斗氏)一人暮らし。料理をしても何か足りない。帰省して気づく。家族の話し声というふりかけ。これが最高の調味料」。「(小瀨大和氏)握り拳という武力行使ではなく、握手という平和的解決ができる国際づくりの一員に、僕はなりたい。」
先週10日ノーベル授賞式に出席しノーベル化学賞を受賞した吉野彰さん。京都大学在学中は以外(?)にも考古学研究会に所属、多くの時間を遺跡現場で発掘に充てたという。そして研究会を通じて知り合ったのが妻の久美子さん。「ストレスなのか枕に髪の毛がいっぱいくっついていたときもあった」と久美子さん。吉野彰さんは「我々人類は自然現象の中で本当に理解してるのは、たぶん1%か2%くらい。98%、99%は未知の哲学の状態で、いろんなことが横たわっている。チャレンジすれば必ず誰かがとんでもないものを見つける、とんでもない発明をする」「粘り強さ、楽観的な姿勢、時代の流れを読む嗅覚の三つが必用だと考える」と。
16歳の彼女は、地球温暖化と気候変動の阻止を求めるスウェーデン人。気候変動に対する政府の無策に抗議するために始めた授業ボイコット学校ストライキ。「未来のための世界気候ストライキ」に125カ国で100万人以上の若者たちが参加したという。一方で、小泉進次郎環境大臣が、国連総会の「気候行動サミット」に今週参加され「気候変動問題をセクシーに取り組む」との発言が話題となっている。
自動車走行中、大きな雷の音に思わずクルマを停車した。我が家には雷が鳴ると狂ったように吠え、お漏らしする犬がいる。10分後家に到着すると何もなかったように犬はゴロ寝していた。11月に15歳(人間年齢で100歳前後)になる彼は最近耳も目も遠くなり昼寝も増えている。そこで【小咄】を思いだした。『お日様とお月様と雷様が旅をした。宿で一泊し、雷様が目を覚ますとお日様もお月様もいない。亭主に尋ねると「今朝早くお立ちになりました」。「そうか。月日の経つのは早いなア」続きがある。「雷様は如何いたしますか」と亭主。「俺はもう少しゴロゴロしてから夕立する」』
漱石は「倫理的修養を積んだ人でなければ、権力も金力も使う価値なし」とも言っている。
参議院選挙が始まったが、改選数124人に対して立候補者370人だとか。我々は選挙で、権力も金力も使う価値のある未来の種を選ばなければならないのだが、これが難しい。
歳を摂ると一日は長く一年が短く感じるというが、今年も早すでに半年が過ぎた。ところで、江戸時代【氷室の節句(夏の盛りである旧暦の6月1日)】に、前年から貯蔵しておいた雪で折餅を作り賞味する行事があり、金沢市では1年の後半を迎える7月1日を「氷室の日」とし、氷を模したと言われる氷室饅頭(紅白、あん入り蒸し饅頭)を食べて無病息災を祈る習慣が残っているそうです。
【元号】今日は、平成から令和へと時代が変わった初めてのつぶやきです。朝日新聞の天声人語子が言っていた。「人間には、二通りの時間の感じ方がある。一つは、未来に向かって直線に進んでいく時間。もう一つは、毎年循環する時間。直線の感覚からすれば、新年は通過点にすぎないが、循環すると思うなら、年が明ければ自分も新しくなるような気がする」と。元号も循環に該当するのだろうか、令和という新しい時代が始まった。「平成の大晦日、令和につなぐテレビ(フジテレビ)」で総合司会を務めたタモリさんは、「西暦がページ数だとすれば、元号は章だと思いますね。それがあるということは、切り替えができますよね。」と。なるほど、昭和22年生まれの私は、昭和・平成・に続き令和という章に何を残せるのだろうか?
菅官房長管が掲げた墨書新元号「令和」の文字は飛驒市出身の茂住修身(菁邨)氏。これを記念して、飛驒市が自分だけの「新元号”令和”号外新聞」の企画により、私は生まれて初めて号外に!
「平成」から「令和」にと新元号が発表された。「平成」は「内平外成(内平かに外成る)」「地平天成(地平かに天成る)」と中国古典から。「令和」は「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」と日本古典の万葉集を典拠と発表された。先週ラジオで誰かがつぶやいていた。「西暦は文明で元号は文化だ」と。平成は戦争がない時代だった、日本はこれからも平成の上に新たな令和文化を創造し積み上げていかなければならない。ところで、過去の元号には、文明(1469年~1486年)文化(1804年~1818年)があった。
6月10日は、時の記念日で「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と制定された。そこで時の記念日から問題を。ローマ数字で表示される文字盤の4時は「Ⅳ」ではなく「IIII」なのか?。ローマ数字は、Ⅰ.Ⅱ.Ⅲ.Ⅳ.Ⅴ.Ⅵと表示されますが。答えは、14世紀のフランス王シャルルⅤ世が、完成した時計を見たときには、「Ⅳ」が使われていた。自身が“Ⅴ世”であり、“5から1を引く”のは縁起が悪いと考え、「IIII」で作り直すよう時計師に命じたという説があるようです。ちなみに江戸時代の4時は鐘七つで、「お江戸 日本橋 七つ立ち」と江戸時代の旅の出立の基本は午前4時だった。
正月から三月までは行事が多く、あっという間に過ぎてしまうことを、「1月行く、2月逃げる、3月去る」などと言うが、もう4月だ。高齢になると「1日は長く1年は短い」と感じる自分。定年後は「キョウヨウとキョウイク」が大事だと言った妻。「キョウヨウ」とは、「今日用がある」「キョウイク」とは、「今日行くところがある」だと。逝った妻を思い出す。