世界(地球)は丸い。「終わり」に見える場所はまた「始まり」に過ぎないかもしれない (アイヴィー・ベーカー・プリースト:米:政治家)
アイビー・ベイカー・プリーストは、アメリカの女性政治家。第30代アメリカ合衆国財務官 (1953年1月28日~1961年1月29日)を務めた。ちなみに同職を務めていた時の大統領は「アイゼンハワー」と「ジョン・F・ケネディ」だった。
荒海は、リーダーシップを試す本物のテストである。穏やかな海では、どんな船長もいい船長 (スエーデンの諺)
若田光一船長が宇宙188日の旅から帰還した。調和を重視する「和の心」で大役を果たし、日本人飛行士のリーダーとしての高い資質を世界に示した。一方、韓国船沈没事故の「セウォル号船長」は、穏やかな海だったのに、いい船長になれなかった
自分の中に燃料を持っていなければ人の心を燃やすことはできない (朝比奈隆 指揮者)
80歳を超えても現役の指揮者だった彼は、指揮者というものはオーケストラという軍隊を預かり、演奏家の感情に火を点ける役目があると。一流の演奏家を束ねるには、知識・教養・技術以外の何かが無いと務まらない。それが熱情みたいなもので上記の言葉になった。一方原発再開を決めた総理の熱情は、国民に伝わったのだろうか。
60点主義で即決せよ、決断はタイムリーになせ。決めるべき時に決めないのは度し難い失敗である (土光敏夫 経済人)
土光氏は経団連会長退任後、昭和56年に第二次臨時行政調査会長に就任。謹厳実直な人柄と余人の追随を許さない抜群の行動力、そして質素な生活から「ミスター合理化」「荒法師」「怒号敏夫」「行革の鬼」「めざしの土光さん」の異名を奉られた。氏なら今の総理や国会になんと喝を入れるだろうか。
理想を言えば、男としては尖っていたいし、人間としては丸くいたい (鬼塚勝也 プロボクサー)
山田駿佑君(関市立倉知小学2年)が、全国児童才能開発コンテストで文部科学大臣賞を受賞。山田君は「まんまる石ができるまで」を研究。長良川の上流から下流までたどって川原の石の形や大きさの分布を調べた。また、1mのパイプに角ばった石と水を入れて12万回振り、角が削られて石が丸くなることを確認したという。「きれいなまんまる石をつくる自然の力はすごい」と。私も尖ってもいたいし、丸くもなりたいと思うのだが…
芸術も政治も人間人格ができていなければいけない (横山大観 画家)
横山大観は、近代日本画壇の巨匠であり、「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。また、伝統や評価にとらわれず、常に新しいものを目指し描き続けた。今日、僅か398人で日本の首相を選ぶ民主党の代表者選が行われる。候補者は、多数派工作のためにグループからの支援を得やすい発言が目立ち、政治への理念や政策はどうも「朦朧」としているように感じられる。大観は「己が貧しければ、そこに描く富士も貧しい」とも。選ぶ人も選ばれる人も美しい富士を描いて欲しいものだ。
粗にして野だが卑ではない (石田禮助 第5代国鉄総裁)
石田が78歳で国鉄再建のため総裁就任後国会で挨拶。「諸君!私は嘘は絶対つきませんが、知らぬことは知らぬというから御勘弁を。生来粗にして野だが卑ではないつもり。国鉄が今日の様な状態になったのは、諸君(国会議員)たちにも責任がある」と自己紹介。今、民主党では、代表選各候補者が理念や政策を訴えるより数集めに奔走しているようだが、民主党の代表者ではなく総理に相応しい人を、出たい人より出したい人を選んで欲しい。数集めの行動が「卑」であるか国民は見ている。
荒海は、リーダーシップを試す本物のテストである。 穏やかな海では、どんな船長もいい船長だろう。
(スウェーデンのことわざ)
荒海に乗り出した松本復興対策担当相「私は三月十一日以来、自民党も民主党も公明党も嫌いだ。私はただ被災者に寄り添うだけだ。千年に1度の仕事、しっかりやり遂げることが使命だ」と。同感だ、国難に対して政府と国会が政局で混迷している中、議員諸氏には、災害対策が政治災害とならないよう党派を超えた行動を願いたいものだ
人はよほど注意せぬと地位が上がるにつれて才能が減ずる。私の知っている人で大臣などになったのも少なくないが、どうも皆そうです。 (石黒忠悳/日本陸軍軍医)
石黒忠悳(1845年- 1941年)は、明治時代の医師。ドイツ医学を取り入れて日本医学界の方向を定めた。彼は軍医として多大の業績を残した後、日本赤十字社社長などを務め子爵を授けられた。彼が言うように、大臣になる人ですらそうなのだから、我々一般人はよほど気をつけないといけない。それにしても、今、政界に才能ある人はどれだけいるのだろうか。
奪い合えば無くなり、分け合えば足り、譲り合えば余る (朝日新聞(天声人語)3/27「天声人語」)
東日本大震災被災者で配給活動の手伝いをしていたボランティアの話。ある少女に配給物資の一部の10枚入りの折り紙を渡したら、少女が半分しか受け取らなかった。「これだけでいいの?」と訊ねると「他の子も欲しいだろうから」と答えた。後方の在庫を示し「欲しければ10枚持っていっていいよ」と応じると、嬉しそうに飛び上って10枚持っていったという。少女は分け合うこと、譲り合うことを知っていた。