史上最年少で五冠を達成した藤井聡太新王将が富士山何合目か問われ、「どこが頂上なのか全く見えない。(森林が形成されなくなる境界線の)森林限界の手前で上の方には行けていないのかな」と語った。他の棋士も富士山を例えて、木村義雄14世名人(1986年逝去)「将棋を富士山にたとへるなら、私の将棋などはやつと山麓に達したか、贔屓目に見て、二合目か三合目に差しかゝつたところであらう」。米長邦雄4冠(2012年逝去)は「技術的には現A級は百メートルを皆10秒1で走っている。今後よほどの天才でも現れない限り9秒7や8はなかなか出ないだろう。その意味で技術を富士山に例えれば、我々はまだ一合目かもしれない」と。
昨年最下位のヤクルトが、クライマックスシリーズ(CS)と日本シリーズに向かって、高津監督は「チーム、選手、スタッフはもちろん、ファンのみなさまと絶対に崩れない一枚岩となって勝ち抜いていきたいと思います。選手は頑張ってくれるはずです。絶対大丈夫です」と。また「言葉を大切にして、選手たちと接したい」と明言、こんな言葉も口にしている。「言葉は武器だ」。監督は、日本シリーズで優勝し言実行した。
東京五輪で日本人が活躍しているが、日本選手のここが許せないと海外の五輪選手が言ったそうだ。銀メダルを手にしているのに表彰台で悔し涙を流している。自分の力不足、精神の弱さを嘆くコメントばかり。自分に勝った金メダリストの素晴らしさも称えないと。
経営の神様とも言われた松下翁は、「自分は病弱だったから、全て人に任せた。結果的にはそれで人が育ち、事業が成功した。病弱だったのは不運だったが、結果的にはそれが幸運だった」と。そして、面接では「運が悪い」と答えた人は、どんなに学歴や面接が良くても採用しなかったとか。
舩井氏は「温顔とは、穏やかな、あたたかみのある顔つきのことで、温顔が福を招く、人間性が高く、ツイている人の顔つきは、笑顔で、温かく、幸せで、均整がとれているもの。このような「温顔」になると、どんなことでも肯定でき、人の足を引っ張ったり、人に嫌われるようなこともなくなります。「温顔無敵」こそが、人間の究極の姿なのだと。確かに笑顔はつくれても温顔はそうはいかない。ところで、将棋の棋聖戦に続いて王位戦も制した藤井聡太二冠の対局後の会見は、18歳なのに何故か「温顔無敵」に見えた。
大相撲7月場所での照ノ富士関の復活優勝には、朝乃山ファンも拍手喝采したことだろう。大関まで昇進した照ノ富士関は怪我と病気で序二段まで転落した。師匠に何度も引退を相談するが、「後悔させないように、怪我で負けて終わってしまわないように。引退は怪我を克服して本人も納得出来てから」と。連日両膝にサポータを付け、毎日病院通いで、本調子でない体で幕内への復活、そしての優勝、史上最大の復活優勝だ。今場所の新化粧まわしは富士山から太陽が顔を出す図柄、一度沈んだ太陽が輝きを増し再び昇り始めた。
負けたことがニューになる人。24日「竜王戦の決勝トーナメントでタイトル獲得してから初の黒星、今期の竜王位獲得の可能性はなくなった」と。将棋界の最年少記録を書き換える中学生でプロ棋士となった藤井聡太君は、「中学生のうちにプロになれなかったら相撲部屋に」と母から叱咤激励されたという。小学校の卒業アルバムに、「もしも5億円有ったら」の質問に、「積み上げて天井にとどくか実験する」。彼は棋士としての目標を作文で、「30歳までに将棋界の横綱になりたい」とも。彼は積み上がるお金より、ひたすら頂点を目指している。
「くん」「さん」「だん」から「棋聖」に。最年少でプロ棋士になった中学生の「藤井君」、デビューから29連勝して「藤井さん」、5~7段での「藤井7段」と出世魚のように呼称を変え続け。ついに将棋の8冠タイトルの一つ「棋聖戦」で最年少でのタイトルホルダーとなった「藤井新棋聖」。幼少時、高齢者施設で対局し「早くおじいさんになって、いっぱい将棋を指したい」と言ってた彼。二つ目のタイトル戦の「王位戦」でも勝てば、呼称は「藤井2冠」となる。「藤井棋聖、強くなって見えてきた新しい景色はありますか、まだですか」
新型コロナ対策で大相撲3月場所は、無感染対策として無観戦試合だった。観客がいなく盛り上がりには欠けたが、外出を控える身にはTV観戦は大きな愉しみだった。優勝は白鵬だったが新大関に朝乃山が昇進するという。朝乃山関には、横綱以上の稽古を積んで横綱になっていただきたい。
昨日昼食時に戴いたお茶に茶柱が立っていた。昼からなんとなく気分が良かった。そういえば、昨日は令和1年11月11日と1が5つも並んだぞろ目の日。本来ぞろ目はサイコロの目に同じ目(数)が出ることだが、三つ以上並んだ場合もぞろ目と言うようだ。単なる偶然でもぞろ目は縁起が良い気がするが、野村監督も茶柱が立てば嬉しいでしょうネ。