【東日本大震災】☆震災から11年。照井翠は震災のとき,釜石高校の教員で、生徒らと避難所生活を送った。被災三年目にはこう書いている。私達は3月を愛さないし、3月もまた私達を愛さないと。悲しみは薄まらないし、心の傷も癒えないと。廃墟となった鵜住居の津波砂漠を歩いていると、心がずたずたに引き裂かれる。三年目にして深まる喪失感と絶望感に打ちのめされる。『(句集から)三・一一神はゐないかとても小さい/別々に流されて逢ふ天の川/人吞みて光の春となりにけり/春の星こんなに人が死んだのか』
☆中学の入学式周りは私服姿、着るはずだった制服は、家ごと津波で流された同級生。自分が制服を着てきたことを悔やんだ少女。「気づけなかった、私だけ家があることを自慢してるみたい」と。学校の各家庭被災状況調査で。「先生、みません(声を震わせながら)家族は全員無事でした。家も被害がない皆に申し訳ないです」。被災地にいたのに、家族も家も無事の後ろめたさから、災について語れなかった少女。そして、津波の脅威を後世に伝える”女川いのちの石碑”設置運動に参加。”女川1000年後のいのちを守る会”会長となった阿部由季さん。「石碑が震災を後世に語り継ぐ一つのきっかけになれば幸いです」と。
小説で主人公は、「本州の北の果ての海っぱた(海端)で、雪降り積る温泉旅館の浴槽に沈んで、いま硫黄の匂いを嗅いでいる」と、青森県風間浦村の下風呂温泉でつぶやく。
凍みるような寒さの中、温泉で湯が滲みて来る。湯上がり後の酒が体に染み渡り、そして人の優しさが沁みる。先週大寒を迎えたが今年の寒さは格別だ、久しぶりに日帰り温泉で温まりたい。
マイアミ大准教授アーロン・ヘラー氏等の研究によると、日々移動距離が長い人ほど、高い幸福度を感じている。MRI等の分析によると「人は行ったことがない場所に行くなど探索の度合いが高い日にはより幸せを感じる」という。移動と快楽(幸福度)は比例する」というマウスでの研究結果はこれまであたったが、人間でも同じ結果が得られたのは今回が初めてだとか。実業家の前澤友作さんが、12日間の宇宙旅行に旅経った。きっと満面の笑みと幸福感で帰られることだろう。
芸術鑑賞してもお腹が満たされるわけではない。しかし、芸術作品を鑑賞するとなんとなく心を満たしてくれる。夕日を見たり、絵を見たり、音楽鑑賞をして、美しいと感じ、目や耳で受けた刺激が美しいと感じるともっと見たい聞きたいと心地よい感情が湧いてくる。こうした脳内の美の伝達がやる気脳を育てるのだとか。芸術鑑賞は脳の健康にもよいのだそうだ。今秋真っ盛り。芸術・食欲・読書・スポーツの秋、あなたはどの秋が好きですか。亡き妻は紅葉と食欲の秋が好きだった。
久しぶりに鰯雲を見た。正岡子規は、四季折々の雲を「春雲は絮(わた)のごとく、夏雲は岩のごとく、秋雲は砂のごとく、冬雲は鉛のごとく」と言表した。夏場に現れる巨大な入道雲は岩、秋に浮かぶ美しいうろこ雲は砂に例えた。砂のごとき秋雲は小さな無数の雲が薄く広がり、砂丘にできる風紋のように見えるいわし雲。緊急事態宣言解除後の散歩に楽しみが加わった。
火野正平がTV番組で「バッカじゃないの」と若者の男女に向かって言った。このバカの部分だけを切り取るとセクハラ発言だ。番組”にっぽん縦断 こころ旅(火野正平の自転車によるNHKのTV番組)”の岐阜県養老編でのこと。火野さんが旅の途中で、若者カップルに出会う。名古屋を出発、自転車で40分掛け6㎞の坂道を上ってきた若者達。これから三重県、滋賀県、養老を廻って名古屋に帰るという。72歳の火野自身は下り坂だから自転車でこれから養老に向かえるが、若者達の来た登り坂なら俺だったら俺は4日かかると、若者に「バッカじゃない」と笑顔で。火野さん情のこもった新鮮で旨いバカ発言だった。
北海道には一日の中に四季があるという。日の出前が冬、日が昇り春になり、正午頃に夏、日没ころが秋となり一日で数回の衣替えをするという。近年私は冷え性のせいもあり長袖シャツで過ごしてきたが、今日は1回目のコロナのワクチン接種日。今年初めての半袖姿に衣替えしてワクチン接種に備える。
【口語訳】順境はあたかも麗かな春の日に外出して花を観るようなものだ。逆境は意のままにならぬのだから、寒い冬のようなもので、閉じこもって雪を眺めているようなものである。春は楽しむが宜しい、然し冬も悪くない。ところでコロナ禍での「緊急事態宣言」対象地に岐阜県も含まれました。今、飛騨では名実ともに閉じこもって雪を眺める日々です。皆さんはどうお過ごしですか。早く「出遊して花を観たい」ものです。
秋が一番美しいという画家がいた。「紅葉ではなく山の姿が美しい。山の稜線がサファイア色の空の背景に染まってにじむことなくっきりと秋空に浮かび上がる山が美しい」と。今年は、長雨、豪雨、猛暑、災害に加えコロナ禍での長い自粛生活を余儀なくされた。最近そっとドライブしてみると、美しい秋が待っててくれた。
亡き妻が好きだった紅葉狩りの時期だ。中国では古来、人の人生を四季に例えて、青春、朱夏、白秋、玄冬という。人生のある時期をそれぞれ、季節で言い表したものだ。作家の堺屋太一さんによれば、東洋思想で「玄冬」は幼少期を指す。玄(くろ)い冬とは種子が大地に埋もれている時期だ。そして人生は青春期の「青春」、子供を育む季節が「朱夏」期、高齢期の「白秋」と続く。高齢期は冬ではなく、実りの秋なのだと。妻は、実りの秋を全うせず58歳で6年前に逝った。今月は妻の七回忌だった。