『九十歳。何がめでたい(佐藤愛子著)』から。「進歩というものは人間の暮らしの向上、ひいては人間性の向上のために必要なものであるべきと私は考える。我々の生活はもう十分に向上した」「調べたり考えたりしなくても、すぐに答えが出てくるスマホがこれ以上進化すると、日本人はダメになる…日本人総アホ時代が来る!」と現在98歳の彼女は警告する。
長野市で行われた全日本距離別選手権で現役最後のレース女子500メートルで優勝、8連覇を達成。彼女は、レース後に発する独特な表現のコメントから「氷上の詩人」とも。「私は金メダルを目指してやってきたのではなく、その瞬間に人生の最高の作品を表現し、見てもらいたかったんだ」。彼女は、引退レースで最高の形で競技人生に幕を下ろした。
今日は妻の10年目の祥月命日だ。7歳下の妻より私は17年も長生きしてしまった。亡くなってから、あれもこれも自分が悪かったということに多く気付かされた。俺にはもったいない嫁だった。せめて一言「あなたきれいだよ」と言ってやりたかった。今日はお墓でそのことを伝えたい。墓参りの後は、妻も好物だった鰻を食べに行こうと思う。故人の宇津井健(俳優)が言っていた。「お皿の上に乗っかっている物を可哀想がっても仕方ない。おいしく頂く事が供養だ」と。
プロレス界のスーパースターだったアントニオ猪木さんが10月1日亡くなった。亡くなる10日前に撮影された「アントニオ猪木『最期の言葉』」というタイトルの動画を見た。動画では、衰弱した様子でベッドへ横たわる猪木が。『猪木がよく語った詩「この道を行けばどうなるものか/危ぶむなかれ/危ぶめば道はなし/踏み出せばその一足が道となり/その一足が道となる/迷わず行けよ/行けばわかるさ(哲学者故清沢哲夫氏の「道」)」さらに「人は歩みを止めた時に、挑戦を諦めたときに年老いていくのだ」と語り。そして最後に、「今手近でやれること、世界のゴミを消していくこと。これだけ汚してしまった地球を、自分たちの手でもう一回きれいに掃除すべきだ」』と。完治が難しいとされる難病と闘いながら、亡くなるまで”生きた、闘った”。最後まで闘い続けた闘魂者だった。【合掌】
【合掌】独自の経営哲学を掲げ京セラとKDDIの創業者、78歳で経営破綻した日本航空(JAL)の再建にも尽力した稲森氏が死去(8/24:90歳)。稲盛氏は、「人間として何が正しいか」を基軸とした「京セラフィロソフィー」と呼ばれる独自の経営哲学を持ち、会社経営の目的は「全従業員の物心両面の幸福を追求」と定め「株主より従業員が一番」と断言していた。会社の組織を「アメーバ」と呼ぶ数人ずつの集団に分け、それぞれが事業の計画や目標を立てることで部門ごとの採算を高めたり、社員のやる気を引き出したりする「アメーバ経営」という手法を生み出す。私財を投じて稲盛財団を設立、数多くのノーベル賞受賞者を輩出する京都賞を創設。晩年は、日本の企業の相次ぐ不祥事に「企業人の前に人間として何が正しい行為なのかを根本から考え直すべきだ」と心を痛めていたという。
土に根ざした地べたからの目線で現代社会に警鐘を鳴らす小説や評論活動を続けた農民&作家だった。佐賀県で「生涯一百姓」を貫き、情と理の人。文章に土の匂いがした。生来のあまのじゃく、偽善を容赦なく切った。残した言葉に「成長よりも安定、拡大よりも持続、現在よりも未来を大切に」「農業の農は楽しいが、業はつらいのは世界共通」「百姓は永遠に不滅」「老農は死なず消えていくのみ」【合掌】
【修業と修行】4月には多くの新社会人が誕生する。彼等は学業を修業し卒業したが、これからは修行が待っている。曹洞宗の青山俊薫尼僧は言う「修業と修行は違う。修業は行の習得で有り生活の死を稼ぐ職業でもあり、これには上達もあれば卒業もある。修業は生き方で有り卒行はない。むしろ深まるほどに足りない自分に気づくというのが修行である」と。二宮尊徳(江戸時代後期の経世家)は「正しい道というものは、必ずこの世の人々に利益をもたらすものである。学問をする時も、修行をする時も、このことが実現できなければ、人の世には何の利益ももたらさない無用のものとなる」と。新社会人の皆さんおめでとう、これからも修行をお忘れなく。
ロシアの60以上の都市で反戦デモが行われ、4000人超が警察に拘束されたという。一国も早く停戦になることを強く願いま。ところで、故斎藤茂太家では「デモでなく”でも禁止」だったという。”でも”は、「早く資料をまとめてくれ」「でも今別件に取りかかってて」「これ体にいいよ」「でもなんとなく嫌いで」などと気が進まない言い訳に使われがちで、自分をかばう作用がある言葉。だから”でも”禁止をすると、自分が前向きになり、頼まれごとが有ったときの返事が「やります、喜んでやります」と前向きの生き方が出来ると。
「人間はなんのために生きるのか」に対して、フーテンの寅は(男はつらいよ-寅次郎物語-39作)次のように語る。満男「人間は何のために生きてんのかな」寅「難しいこと聞くな、お前は…何と言うかな、あぁ生まれてきてよかった。そう思うことが何べんかあるだろう。そのために生きてんじゃねえか」と。
俳優の中でも、屈指の馬術の達人の一人だった宇津井健だが馬肉も好んで食した。上記のコメントは馬肉を食する時の言葉。ところで今日は針供養の日。99歳で大往生した我が母は、家の内外問わず和服姿で、母の洋服姿を見たことがなかった。働き者の母は和裁で家計を助け、死ぬまで針を離さなかった母。しかし針供養日はのんびりしていたことを想い出す。