戦後の日本を代表する詩人が旅立った。70年以上言葉と向き合い、鋭い感性と親しみやすいことばで表現、詩人でありながら翻訳・音楽・映画など多彩な分野に足跡を残した。表現は軽やかに見えるが、反戦の思いを込めた詩などで現代社会に厳しい視線を向ける人でもあった。彼は「人間は直線的に縦に成長しているとおもいやすいが、木の年輪のように、横に一皮ずつふくらんだかのように成長していると考えたほうがいい、輪切りにしたとすると、いつも芯には子どもの時代が息づいているのだ」と。そして「よるになったらほしをみる/ひるはいろんなひととはなしをする/そしてきっといちばんすきなものをみつける/みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる/だからとおくにいてもさびしくないよ/ぼくもういかなきゃなんない(詩「さようなら」)」と。私たちにさようならをして逝った。【合掌】
大相撲九州場所7日目玉鷲関が40歳の誕生日に白星。19歳でデビューして一日も休まずに丸21年連続出場記録更新中。現役最年長の関取は、「人間の体はここまで成長する、できるというのを見せたい。まだ成長中なので」と。40歳以上の現役幕内力士は昭和以降で6人目だ。そして、この日先場所引退した元大関貴景勝が、NHKのTV相撲番組の解説者としてデビューしたが驚いた。現役時代には見られなかった表情が柔らかくなった顔だった。彼は、TVの解説時に冒頭の言葉を信条としていたと言った後「現役の時はつくっている顔の時もあった、でも今は勝負師としては終わったので、楽しくやっていきたいと思います」と温和な顔で話した。彼の大関昇進時の口上は「武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進します」だった。だから現役中は眉間に皺を寄せるような顔つきだったのか。彼は武士道精神を貫いた力士だった。
彼は以下の詩を残した。”If I must dai(もし私が死ななければならないのなら)”『もし私が死ななければならないのなら/あなたは生きなければならない/私の物語を伝えるために/私の遺品を売り/布切れと少しの糸を買うために(長い尻尾のついた白いものにしておくれ)。ガザのどこかにいる子どもが天を仰ぎ見て/炎に包まれ旅立つ父を待つとき/その父は誰にも別れを告げられなかった。自分の肉体にすら/自分自身にすら。あなたが作る/私の凧が舞い上がるのを子どもが見て/ほんのひととき/天使がそこにいて/愛をまた届けに来てくれたと思えるように。もし私が死ななければならないのなら/それが希望をもたらしますように/それが物語となりますように』。絶望の中から生まれた一編の詩、ガザから世界へ拡散した詩だ。今も連日、ガザで続く激しい空爆。戦火はレバノンにも広がり周辺国を巻き込んでいる。
大谷翔平さんが高校生の時に寮のベットの壁に貼ってた言葉だとか。これは、戦国武将・武田信玄の言葉の一部。全文は、「実力の差は努力の差、実績の差は責任感の差、人格の差は苦労の差、判断力の差は情報の差、真剣だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳ばかり、本気でするから大抵のことはできる、本気でするから何でも面白い、本気でしているから誰かが助けてくれる」。さすが、結果を出す人間は違う、日米での二刀流の活躍、ドジャースでの「50―50」達成。そして、WBC世界一、など数々の偉業を成し遂げている大谷が、花巻東時代から大切にしていた言葉だとか。夢でなく目標だったワールドシリーズ優勝おめでとうございます。