山奥の誰も見ていないところでもきれいに咲く桜。人が見ているから咲くとか、見ていないから咲かないとかいうような陰日なたはありません。 (松原泰道 臨済宗僧侶)
臨済宗の僧侶で岐阜市の瑞龍寺で修行もした。師は「般若心経入門-276文字が語る人生の智恵」他多数の本を出版したが、百歳を迎えた日に出版した「百歳からあなたへ(海竜者)」に冒頭の言葉がある。ところで、飛騨は例年より早い開花だが、先週は桜が開花した市中心部でも雪が舞うという春と冬の競演が見られた。今日は春の高山祭(山王祭)で、久しぶりに桜と祭り屋台の共演が楽しめそうだ。
悲しい時には、桜の花の咲くのを見たって涙が出るんだ。 (谷崎潤一郎 作家「著-蓼食う虫」から)
桜の語源は①咲くに接尾語「ら」が付き名詞になったという説。②「さ」は耕作を意味する古語「さ」もしくは「神霊」を意味し、「くら」は神様の「座」を表すという意味で、春になって山から下りてきた田の神様が宿る木とされたとの説もある。ようやく飛騨にも開花時期の到来だが、亡き妻は桜が好きだった。
創めることは未来に花を咲かせることだ。 (日野原重明 医師)
4月は学生、新社会人等のスタート月だ。日野原氏は101歳で現役医師以外に様々の活動をされているが、「新老人の会」の会長でもある。半世紀前に国連で定めた「65歳以上を老人」とする捉え方はすでに実態に即しておらず、 老人は75歳以上として、自立して生きる新しい老人の姿を「新老人」と名付け、そのモットーは①愛し愛されること②創める事③耐えること。「人は創めることを忘れなければいつまでも若く、老いることも楽しい」と。
不可能の反対語は可能ではない。挑戦だ (ジャッキー・ロビンソン 大リーガー)
欧州サッカー界を覆う人種差別が問題となっている。1947年ジャッキーは黒人初の大リーガー選手でデビュー。対戦相手からは対戦拒否や想像を絶する人種差別の壁をバット一本で挑戦した。入団時の会長が彼に求めたことは「君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには、君は偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でなければならない。仕返しをしない勇気を持つんだ」と彼に言い、右の頬を殴ったが、ロビンソンは「頬はもう一つあります」と応え、紳士的なプレーで差別の壁を破り、その年の制定された新人賞を獲得した。
逆境にいて楽観せよ (出光佐三 実業家)
出光興産の創業者である彼は「不景気大いに結構。天下大乱いいじゃないか。僕は楽観主義者、人間は苦労しなければダメ。苦労すればするほど、人間立派になる。僕は努めて苦労してきた」と89歳時の発言。さらに「人間の幸福は老後にあり」と。95歳永眠
笑顔は 疲れた者にとっては休養、失意の人にとっては光明、悲しむ者にとっては太陽、悩める者にとっては自然の解毒剤となる。 (デール・カーネギー 米:著述家)
1万8千人以上の死者と30万人以上の避難者が出た東日本大震災。あれは2年前の今日だった。多くの人から笑顔を奪った地震と津波と原発。あれから2年、どれだけの人が笑顔を取り戻せたのだろうか
生きるということは、身も心も忙しく働かせるということです。 (飯田深雪 料理研究家)
アートフラワーの創始者でもあった彼女は、「たとえ戸棚の掃除というような小さなことであっても、気になっていたら、すぐに片づけなくてはいけません。誰も知らなくても、自分で気持ちが悪い状態にしてはいけない」と。103歳で永眠。また「人は、今やらないことは、往々にして一生やらないものです」とも。定年後何かと億劫になっている私には、耳の痛い言葉だ。
梅のように老いを生きたい (小倉遊亀 日本画家)
地域によっては観梅の季節。人間は齢をとると、人によっては老醜のみじめさ現すが 、梅の木は年老いてこそ美しさにますます深みを増していくと、晩年好んで梅を描いたという小倉遊亀。「老いて輝く、60台までは修行、70台でデビュー」。105歳まで描き続けてきた遊亀であるが、金銭とか名誉とは無縁だった
人に勝つより、自分に勝ちなさい (加納甚五郎 講道館創始者)
柔術から柔道への創始者、加納甚五郎が柔道の精神として唱えた「精力善用」「自他共栄」。「精力善用」とは、力で相手をねじ伏せたり、威圧したりせず、世の役に立つことのために能力を使うこと。ところで、園田柔道女子監督が暴力問題で辞任した。五輪至上主義で柔道より柔術に目がいったのだろうか。剣術でなく剣道も剣の道を習い己の精神を鍛えるのが目的だと。暴力で精神は鍛えられない
良心の問題に関しては、多数決の法則は適用されない (ガンジー 政治指導者)
今日は建国記念日。ガンジーはインド建国の父とも言われ、非暴力、不服従運動で知られる。彼は「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ」とも言っている。なるほど高齢になると怒りぽくなったりするのも弱っていることへの反動なのかもしれない。