亡き妻が好きだった紅葉狩りの時期だ。中国では古来、人の人生を四季に例えて、青春、朱夏、白秋、玄冬という。人生のある時期をそれぞれ、季節で言い表したものだ。作家の堺屋太一さんによれば、東洋思想で「玄冬」は幼少期を指す。玄(くろ)い冬とは種子が大地に埋もれている時期だ。そして人生は青春期の「青春」、子供を育む季節が「朱夏」期、高齢期の「白秋」と続く。高齢期は冬ではなく、実りの秋なのだと。妻は、実りの秋を全うせず58歳で6年前に逝った。今月は妻の七回忌だった。
【桃栗三年柿八年】 味覚の秋で果物のおいしい季節だ。妻は桃や栗より葡萄やリンゴが好きだった。その妻の七回忌が先週だった。「今週の言葉」は妻の法要を行ったお手次ぎ寺の本堂に掲示されていた。俺は昭和の男児だと、優しい言葉かけずに逝ってしまった妻に今更募る想い。妻と別れる前に互いの人生をもっと深めたかった。
霊雲寺本堂内の掲示(高山市神田町)
【秋空】快晴の日が続いている。天高く馬肥ゆる秋というが、秋空は夏空より高く見える。高気圧は、夏は南太平洋から、秋は大陸からやってくるため、大陸育ちの高気圧は、海で育った高気圧に比べて乾燥している。このため、水蒸気の量が少なく、晴れたとき空気が澄んで空が高く見えるという。その秋晴れで忘れられない実況がある。昭和39年10月10日の東京五輪開会式前日は、台風の接近により雨が降ったが、当日は抜けるような青空だった。それを北出アナウンサーは冒頭のように実況した。彼は、大相撲を中心に数多くのスポーツ中継を担当し1972年の札幌オリンピックの「さあ笠谷、金メダルへのジャンプ-飛んだ!決まった!」などの名実況も残した。
【芸術の秋】法隆寺の再建するなど最後の宮大工と言われた西岡棟梁。代々宮大工の家に生まれた彼は「決して民家を造ってはならない」と言われ、自分の家も他の大工に造ってもらった。納期を気にしたり儲けに走ったりすると仕事が荒れるからとの理由だという。彼は「木にはそれぞれ癖があり、一本一本違う。産地によって、また同じ山でも斜面によって変わる。まっすぐ伸びる木もあれば、ねじれる木もある。材質も、堅い、粘りがあると様々。木も人間と同じ生き物です。いまの時代、何でも規格を決めて、それに合わせようとする。合わないものは切り捨ててしまう。人間の扱いも同じだと思う。法隆寺が千年の歴史を保っているのも、みな癖木を上手に使って建築しているのです」とも言っている。
岐阜県恵那市が舞台となったNHKの朝ドラ「半分、青い」は先月で終了した。ドラマの中で主人公楡野鈴愛の夫-森山涼次の詩から『僕は遅いかもしれない/でも走ろうと思う/僕は悲しいかもしれない/でも隠そうと思う/僕は負けるかもしれない/でも戦おうと思う/僕は弱虫かもしれない/でも強くなろうと思う。▼人生は 苛酷かもしれない/でも夢見ようと思う/翼は折れたかもしれない/でも明日へ飛ぼうと思う▼僕は君の望むような僕じゃないかもしれない/でも君の心の灯が消えそうなときは そっと この手をかざそう/いつまでも かざそう』