彼は、巧みにグラブを持ち替えて、左手のみで投球、捕球、送球。それでも、守備は平均以上であったという。ノーヒットノーランを達成する等大リーガーでの通算87勝をあげた。そのアボット氏と重なるような選手が、今夏甲子園で見られた。県岐商の横山温大選手。生まれつき左手の指がないとは思えないほど、攻守に活躍が光った。左腕よりひと回りも太い右腕。180kgのバーベルを担ぐという驚異的な筋力は、彼の並外れた努力の証である。ひたむきに白球を追う横山君の活躍もあって県岐商業はベスト4入りした。彼は「ハンデがあっても、戦える姿を見せたいんです」と爽やかだった。
中国の戦線を5年近く「引っぱりまわされ」、たった一人の弟も旧ビルマで亡くした俳優。戦後多くの遺族が強いられた憂き目も思うと、「悲しみとイキドオリ」はついぞ消えないという。自国を「自分たちを幸せにしてくれるすばらしい国」と思える国民には、外交も戦争も「取引(ディール)」などではありえない。『三文役者のニッポン日記』から。鷲田清一氏の”折々のことば(7/28付け朝日新聞)より。
今年は終戦80年。他に戦争に関する言葉をいくつか。☆政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である(毛沢東)☆どんな征服も憎しみを生む。敗れた者たちが不幸に見舞われることになるからだ(釈迦)☆弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ(マハトマ・ガンジー)☆人類は戦争に終止符を打たなければならない。さもなければ、戦争が人類に終止符を打つことになるだろう(ジョン・F・ケネディ)
【お寺の掲示板から】この言葉は東井義雄氏の言葉です。深い悲しみを経験することは、他者の苦しみ、痛み、そして悲しみに対する想像力を養います。仏教の「慈悲」における「悲」は、深いあわれみの心や苦しみを取り除くことを意味します。悲惨な戦争をはじめ、この世界は大小の争いが絶えません。争いによって深く傷ついた人々のもとへ飛んで行き、いたわることはできなくても、せめて心を向け、小さくても何らかの行動をする。悲しみから生まれる共感こそが自他をつなぎ、激動する世界に安心をもたらす希望の光になるのかもしれません。(浄正寺:大分県中津市)
冒頭の言葉に続き彼女は「心に思うことはどんなことでも、言葉にしたり、声に出したりしたほうがいい。窓を開けて遠くに飛んでいくようにね!」と言う。飛騨地方では、七夕を旧暦の8月7日に行う風習が残っているが、孫は明後日の短冊に何を願うのだろうか 。