たゆまざる、歩みおそろし、かたつむり (北村西望 彫刻家)
8月9日は長崎原爆忌。彼は長崎の「平和記念像」を制作した。「わたしは天才ではない。他人が5年でやることを10年かけてでもやる。いい仕事をするために長生きするんです」と。ある日の夕方、制作中の作品の足元に蝸牛がいた。翌朝、見上げると9メートルもある像のてっぺんに蝸牛がいた。102歳で没するまで現役だった。
「もうお前いいよ」と富士山が言ってくれるまで描き続けます (片岡球子 画家)
世界遺産登録で富士山が脚光を浴びているが、彼女の絵は、型破りな構成、大胆な色使いは一部の人々から「ゲテモノ」とも揶揄され思い悩むが、師匠の小林古径は「今のあなたの絵はゲテモノに違いないが、ゲテモノと本物は紙一重の差だ、画風を変えてはいけない」と励ましたという。球子は「美しく描くことが全てではない」と信じ自分の信念に従った創作を続け、従来の日本画の概念を揺るがすような力強い表現を確立。「富士山」シリーズは「面構」の連作とともに彼女の代表作となりあ103歳まで描き続けた
虹は本当に素晴らしい。その真下に赤ちゃんを抱っこしたお母さんがいるとなお素晴らしいなと私は思います (まどみちお 詩人)
「百歳の日記(著-まど・みちお)」から。「自分のまつ毛のところにはいつも虹がある。涙が出さえすれば、まつ毛のところに小さな虹が出るのです」と。現在103歳の感情豊かな氏は「涙は命の応援隊長かもしれません」とも。
人間は一人では、生きることも死ぬこともできない、哀れな動物と私は思う (高峰秀子 女優)
夫は映画監督・脚本家の松山善三。彼女が「私の渡世日記」で、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した時、世間では、「小学校も出ていないのに、なぜ文章が書けるのか?旦那に書いてもらったのでは」との声が多かったという。夫が腎臓結核で机上生活を禁じられ、彼女が口述筆記を40年も続けたことが文章修行になった、と
幸福のかけらは幾つでもある。ただ、それを見つけだすことが上手な人と、下手な人とがある (宇野千代 小説家)
彼女は、大正・昭和・平成にかけて活躍した日本の小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持っていた。また、岐阜県本巣市にある樹齢1500年以上の「淡墨桜」の保護活動なども行い、1990年には文化功労者を授与した。1996年(98歳没)
人生を喜びなさい。なぜなら人生は、愛し、働き、遊び、星を眺めるチャンスを与えてくれたのだから。 (ヘンリー・ヴァン・ダイク 牧師)
七夕は、天の川を隔てて、彦星(牽牛星)と織姫(織女星)1年に1度だけ逢うことを許された夜。2人は、恋人でなく夫婦だったという。2人は働き者だったが、結婚してからは牛飼いと機織りの仕事を怠けるようになり、天帝の怒りを買って引き離され、年に一度しか会うことを許されなっかた。しかし七夕に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず牽牛も彼女に会うことができないが、昨夜は会えたのだろうか
若さの甘えは、まだまだ多少のかわいげがあるけれど、年寄りのおしつけがましさには、周りの者はただ白けるばかりである。 (沢村貞子 女優)
「私の三面鏡(沢村貞子-著)」に、元スター女優が、初めての老けの脇役に回された時の「前官待遇」を求める逸話がある。沢村は、その口惜しさは分るとしながら、冒頭の言葉を発している。タレントのローラさんの父親が国民健康保険の海外療養費を詐取で国際手配されたが、敬語が苦手の彼女のタメ口は、若さと可愛さで人気者なのだろう。
人間は偉くならなくとも、一個の正直な人間となって信用できるものになれば、それでけっこうだ。真っ黒になって黙々として一日働き、時期が来れば“さよなら”で消えていく。このような人間を偉い人だと自分はいいたい (鈴木大拙 仏教学者)
偉い人日本より欧米で知られ、明治から昭和時代の仏教学者で、禅の研究で英訳の著書多数。仏教や禅思想をひろく世界に紹介した。昭和24年文化勲章。昭和41年7月12日永眠(95歳)。「絶対の威力に生きて責任をもたぬものあり,名を国家と云う(昭和17年西田幾多郎への手紙)」
幸せとは、決して魔法のランプのようなものではない。毎日の暮らしの中で「ああ嬉しい」と感じる、小さな点のようなもの。その点が、一つより二つ、三つより四つと線になってゆくように (沢村貞子 女優)
敗戦直後、脇役女優と雑誌記者が恋をし東京へ駆け落ち。無一文からの出発。数々の労苦を二人で乗り切り、ようやく楽しい老後を迎えたが、最愛の夫は急逝。「やさしくて頭のよい貞子がいて幸せだ、貞子ありがとう」の遺稿を見つけ「働く人がみんな幸せになれるようにしたいと思ったけれど、何もできませんでした。でも、ひとりだけ幸せにできたと」
自分をどう滑らかに、誰にも迷惑をかけないで生きていくかを考えてきた (金子兜太 俳人)
文化功労章等受賞された氏は93歳の現役の俳人。妻を先に亡くした氏は、妻の闘病中1人息子の嫁に負担をかけたから、自分まで面倒をかけてはいけない、と。 自分本位で生きてきたから、こらえ性のない人間になっているのでは自省する。そして、自分のことは自分で処理する、体を養う生活を目標としているという。「たっぷり生きる(金子兜太・日野原重明対談集)から」