小学3年生の頃中島みゆきが、いけない言葉を口にして、父から「刃物で切った傷なら薬で治せるけれど、言葉で切った傷につける薬はない」と叱られた。それから「切る言葉があるんなら、治す言葉があるんじゃないか」と思ったという。人を傷つける言葉の恐ろしさを教えられて育った彼女。宇佐美毅氏(日本文学者)は、彼女の歌が長く広く愛される理由に「歌詞には強さ、重みがあり、人生について深い問いかけをどの曲にも込めているので、時代や世代に左右されずに心に響き、後々まで印象を残す。だからいまも歌が生き残っているんです」と言う。
『私は小学三年生の時に周りの人の言葉に傷つき学校に行きづらくなってしまった事がありました。なのでこの言葉を聞くまで、言葉は人を傷つける「毒」だと思っていました。ですがこの言葉を聞いた時、私の何気ない「大丈夫?」「また来るね」という言葉がおばあちゃんの「薬」になっていたんだと思うととても嬉しかったのを覚えています。それからは言葉は「毒」にも「薬」にもなるという事を頭の片隅に置いて人と話すようになりました。また私の言葉が誰かにとっての「薬」になっているといいなと思います。』清水彩日夏ちゃんのように、毒よりも薬になる言葉を使いたいものだ。
四国88カ所お遍路巡りのツアーに参加してきた。コロナ禍で手水場での清めや鐘楼突きは省略、88ヶ寺の本堂と大師堂で合掌し読経の繰り返し。当然ながら、限られた時間でのスケジュールで観光どころではなく次のお寺へと急ぐ9日間で1,400㎞の旅だった。途中330段もあるような階段や長い坂道を同行者の励ましと、弘法大師の分身といわれる金剛杖には「同行二人」の文字のお陰でゴールができた旅だった。「ありがたや行くもかえるもとどまるも我は大師と二人ずれなり(同行御詠歌-三角寺:65番寺の石碑から)」
「十人十色」という言葉があるが、人は、考えや好みや性質などがそれぞれ違う。この法語(仏教の教義を説いた言葉)では、さらに人だけでなく、草も木も虫も、すなわち植物や昆虫、さらに動物にまで拡げて、同じものは生まれないと。