あだ桜とは、あてにならない桜の意味。夜中に嵐が吹いて散ってしまうかもしれないから、花見は今日のうちにしておけよという、楽しい花見の心得を詠ったものだが、実は親鸞が子どもの頃、先生である高僧をつかまえて「明日には死んでしまうかもしれない命なのだから、今日のうちに出家させてくれ」という心境で詠んだ歌として知られている。子どものくせに「明日にでも死んでしまうかもしれない」とは、なんというかわいげのなさかと驚かされるが、子供の親鸞が「明日にでも死んでしまうかもしれない」と考えていたのは、自分ではなく、教えを請う相手の高僧の意味だという。
荘川桜(高山市荘川町 2015.5.1撮影-五分咲き)
御母衣ダム建設によってダム湖底に沈む運命にあった桜を、 ダムを建設した電源開発㈱の初代総裁高碕達之助の発案で、 移植された推定樹齢450年の荘川桜は、本州で一番遅く咲くともいわれている。「進歩の名のもとに、古き姿は次第に失われていく。だが、人の力で救えるものは、なんとかして残してゆきたい。古きものは古きがゆえに尊いものである」と高橋は語った。そして高碕が、裸になった桜を見上げながら、詠んだ。「ふるさとは 湖底(みなそこ)となりつ 移し来し この老桜 咲けとこしへに」