今週の名言・一言・つぶやき「半歩元気、 一歩なにくそ。(陸前高田観光ガイド部会長 新沼岳志)」

先週岩手県への出張があり「奇跡の一本松(陸前高田市)」を観てきた。ガイドは新沼岳志さん。東日本大震災の津波の直撃を受け、7万本松の木がなぎ倒されて壊滅したが、一本だけ津波に耐えて残った。この松は震災からの復興への希望の象徴として、「奇跡の一本松」と呼んでいる。14.5mの津波が襲った「道の駅陸前高田松原(震災遺構)」の前で「我々が体験した震災について日々語っているが、時が経てば体験者は減っていく。『もの言わぬ語り部』を残しておかなければならない」と。「明治29年、昭和8年、昭和35年の津波のときも何も残してこなかった。書物やDVDで記録しても平時には誰も見ない。見たくなくても毎日目に映る震災遺構こそが訴える力になる。何も残せなかった地域は次第に人々が訪れなくなっている……」と。

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今週の名言・一言・つぶやき「ひとは自分が思っているほど、自分のために生きているわけではない 平川克美(実業家、作家)」

父親の介護を続けるなかで、慣れない調理に苦労し、やがてそれが楽しみにすらなったのに、父が逝くと、とたんに料理をする気が失せた。自分だけのために調理をするのが面倒になった。自分がここにあることの意味は他者から贈られる。そのことを身をもって知った経営者の作家は、「自己決定」「自己責任」といった概念の虚(むな)しさを思う。「言葉が鍛えられる場所(第6回 生まれてから死ぬまでの時間)」から。(6/25朝日新聞「折々の言葉-鷲田清一」から)

今週の名言・一言・つぶやき「上り坂、勢いに乗っている時はいい。窮地に立ったとき、人間の本当の価値が決まる 大鵬 (第48代横綱)」

今場所稀勢の里が9連勝と好調だ。そこで、大横綱の語り種から。大鵬は「巨人、大鵬、玉子焼き」と言われた人気者力士。実力だけでなく横綱としての責任感も人一倍だった。世紀の大誤審で大鵬は45連勝でストップした。この相撲がきっかけで、判定にVTRが参考に取り入れられる事になったが、大鵬は「(勝敗で誤解を招くような)あんな相撲を取った自分が悪い」と。しかし、彼は酒豪番付でも横綱だった。1晩に1斗飲んだこともあるといわれ、親友の王貞治(プロ野球界の酒豪)と飲み比べ、酔いつぶれた王がひと眠りして起きると変わらないペースで飲んでいたという。また、場所中明け方まで飲んでいて付け人から「横綱、今日は大関戦ですが」と心配されると「どうして俺が大関とやるのに寝なきゃいけないんだ」と豪語したとか。

今週の名言・一言・つぶやき「百歳は百歳。わたしはわたし。(96歳のおばあちゃん)」

「私の折々のことばコンテスト」(朝日新聞社主催)最優秀賞:瀬戸くるみさん(さいたま市立大宮八幡中1年)から。
『「おばあちゃん、この人百歳だって。」96歳のおばあちゃんになにげなく言ってしまった言葉。テレビでは百歳のおばあちゃんが元気に肉をもりもり食べて、シャキシャキ歩いている。それを見て咄嗟に出てしまった言葉。あっマズイ。おばあちゃん、傷つけちゃったなあ。◆そんな時、おばあちゃんはこの言葉を返してきた。それもかなり強い口調で。私は胸をぐっとつかれた。◆おばあちゃんは、自分が寝たきりで、もう動けないことをちゃんと受け入れて生きている。そして、「わたしゃ口の達者さは百歳に負けておらんよ。」とニカッと笑って見せてくれた。』
『おばあちゃんが忘れても、私は一生忘れない。◆物知りでおもしろくて、色んな話をしてくれる大好きなおばあちゃん。◆「自分は自分」ということを、わかっているつもりでも不安になることがあります。おばあちゃんに言われて「やっぱりそうだ。それでいいんだ」と。おばあちゃんはこのことを忘れているかもしれないけれど、私には一生忘れられないことばです。』

今週の名言・一言・つぶやき「すべてを今すぐに知ろうとは無理なこと。雪が解ければ見えてくる。(独:ゲーテ 詩人・小説家・劇作家)」

1/14付け岐阜新聞に『梅の名所で知られる岐阜県安八町「安八百梅園」で、例年より1カ月ほど早く梅の花が咲き始めている』との記事。だが翌日には、平年より32日遅れて岐阜市に初雪が舞った。また、昨日の首都圏では、「雪で間引き運転、首都圏の各鉄道の混乱に拍車」と大雪のニュース。そして15日には、「軽井沢でスキー客39人を乗せて満員状態の大型バスが転落14人が死亡」のニュース。雪を求めてのスキーツアーだったのに、12人の大学生が逝った。若者達は「雪を解かない」間に逝ってしまった。悔しかっただろう。ご冥福を祈ります。

今週の名言・一言・つぶやき「猿が新しい木登り技術を学ぶために、ある試みをして落ちるなら、これは尊い経験として奨励したい。本田宗一郎 (本田技研工業の創業者)」

今年の干支は申ですが、「折々の言葉(鷲田清一:朝日新聞)」に”猿を決め込む”として次の言葉がありました。『三匹の猿がそれぞれ目と耳と口を塞いでいる。見ざる、聞かざる、言わざる。これを「三猿」という。自分に都合の悪いことはあえて知らんぷりをすること、これを「猿を決め込む」という。巻き添えになることを恐れて口をつぐむ人。あえてふれないで「ないこと」にする報道。ほんとうは政治から子どもの様子まで、見ないふりしてちゃんとみていることが肝要なのに。』と。昨日は成人式でしたが、新成人には猿を決め込むのではなく、向き合っていける社会人であってください。

今週の名言・一言・つぶやき「新年の訪れを見るために真夜中まで起きているのが楽天家。今年がちゃんと去ったか確かめるために起きているが悲観主義者 ビル・ゲイツ(米:実業家)」

謹んで新春のお喜びを申し上げます。よきお正月でしたでしょうか。経営の神様と言われた松下幸之助翁は正月について次のように述べています。
「竹に節がなければズンベラボーで、とりとめがなくて風雪に耐えるあの強さも生まれてこないであろう。竹にはやはりフシがいるのである。同様に、流れる歳月にもやはりフシがいる。ともすれば、とりとめもなく過ぎていきがちな日々である。せめて年に一回はフシを作って、身辺を整理し、長い人生に耐える力を養いたい。そういう意味では、お正月は意義深くて、おめでたくて、心もあらたまる」と。

今週の名言・一言・つぶやき「死というものを覚悟して きちっと見れば 生というものは はっきり分るもの 森敦 (作家)」

森敦は明治45年長崎で生まれた。旧制一高を中退し横光利一に師事。昭和9年22歳の時、処女作「酩酊船」を新聞連載し注目を集めた。しかしその後中央の文壇を離れ、10年働いては10年自由な放浪をするといった生活を繰り返えす。光学機械工場、ダム建設現場、印刷工場での経験と思索が独特の森文学を生み出していく。代表作「月山」は、昭和26年山形県朝日村(現在の鶴岡市)の注連寺に滞在した時の体験をもとにした小説である。昭和49年に発表され芥川賞受賞作となる。森敦62歳だった。異色の職歴と放浪の作家・森敦の独特な死生観、人生観が語られる。

今週の名言・一言・つぶやき「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました(円谷幸吉 東京五輪銅メダリスト)」

1964年10月21日、円谷幸吉は東京五輪のマラソンで銅メダルを獲得した。ベルリンオリンピック以来28年振りの陸上競技メダリストとして一躍日本の英雄となった。このため次回のメキシコオリンピックに向けて、日本国民の声援と期待を受ける中怪我、故障に泣き大きなプレッシャーの中で28歳で自死した。その英雄の突然の死に日本中が驚愕した。以下遺書の全文
「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒 お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」
川端康成は、この遺書について、「相手ごと食べものごとに繰りかへされる〈美味しゆうございました〉といふ、ありきたりの言葉が、じつに純な命を生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」と語り、「千万言も尽くせぬ哀切である」と評した。

今週の名言「生きているということは、誰かに借りをつくること。生きてゆくということは、その借りを返してゆくこと 永六輔(作詞家、タレント)」

タレントの永六輔(82)がパーソナリティーを務めるTBSラジオ番組「土曜ワイドラジオTOKYO」が26日、 約24年半続いた長寿番組で、通算1275回の放送に幕を下ろした。
アナログ人間であり、伝統的建築復権運動を進めている。最近の日本建築は建築基準法によりボルトで締めなければならないそうで、ボルトで締めず木材だけで建築した建物が地震で崩れないのになぜそういう建築を認めないのかと憤慨している。また、最近になって伝統的な職人の服装の復権を呼びかけている。生活文化として江戸の文化・風俗を再評価させたり、在野の芸人を世間に紹介したり、絶滅の危機に瀕していた尺貫法を再び世間に認知させたり、日本人の感覚では常識という考えが同じ日本に住むいわゆる在日の人々にしてみれば侮辱であると主張していた事など、大抵の人々が関心を持たない事を取り上げた事で高齢者を中心として評価する声がある。