生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。 転ぶたびに起き上がり続けることにある (ネルソン・マンデラ 政治家)
南アフリカ国で初の黒人大統領となり、ノーベル平和賞も受賞したネルソン・マンデラ氏が5日逝去。人種隔離政策闘争の指導者として活躍した、95歳だった。「憎み方ではなく愛し方を教えてくれた。彼が激しい怒りや暴力に屈しなかったからではなく、愛することの方がより良い働きをするということを学んでいたからだ」と多くの人が彼の栄光を称え死を悼んだ
人間いたずらに多事、人生いたずらに年をとる。いまやらねばいつできる、わしがやらねばたれがやる (平櫛田中 彫刻家)
満百歳の誕生日を前に、30年分の彫刻材料を買い込んで、「六十・七十は鼻たれ小僧。男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから」と107歳で天寿を全うした。「今日もお仕事、おまんまうまいよ、びんぼうごくらく、ながいきするよ」とも。代表作「鏡獅子」今日は敬老の日。
「もうお前いいよ」と富士山が言ってくれるまで描き続けます (片岡球子 画家)
世界遺産登録で富士山が脚光を浴びているが、彼女の絵は、型破りな構成、大胆な色使いは一部の人々から「ゲテモノ」とも揶揄され思い悩むが、師匠の小林古径は「今のあなたの絵はゲテモノに違いないが、ゲテモノと本物は紙一重の差だ、画風を変えてはいけない」と励ましたという。球子は「美しく描くことが全てではない」と信じ自分の信念に従った創作を続け、従来の日本画の概念を揺るがすような力強い表現を確立。「富士山」シリーズは「面構」の連作とともに彼女の代表作となりあ103歳まで描き続けた
人間は一人では、生きることも死ぬこともできない、哀れな動物と私は思う (高峰秀子 女優)
夫は映画監督・脚本家の松山善三。彼女が「私の渡世日記」で、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した時、世間では、「小学校も出ていないのに、なぜ文章が書けるのか?旦那に書いてもらったのでは」との声が多かったという。夫が腎臓結核で机上生活を禁じられ、彼女が口述筆記を40年も続けたことが文章修行になった、と
人生を喜びなさい。なぜなら人生は、愛し、働き、遊び、星を眺めるチャンスを与えてくれたのだから。 (ヘンリー・ヴァン・ダイク 牧師)
七夕は、天の川を隔てて、彦星(牽牛星)と織姫(織女星)1年に1度だけ逢うことを許された夜。2人は、恋人でなく夫婦だったという。2人は働き者だったが、結婚してからは牛飼いと機織りの仕事を怠けるようになり、天帝の怒りを買って引き離され、年に一度しか会うことを許されなっかた。しかし七夕に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず牽牛も彼女に会うことができないが、昨夜は会えたのだろうか
人間は偉くならなくとも、一個の正直な人間となって信用できるものになれば、それでけっこうだ。真っ黒になって黙々として一日働き、時期が来れば“さよなら”で消えていく。このような人間を偉い人だと自分はいいたい (鈴木大拙 仏教学者)
偉い人日本より欧米で知られ、明治から昭和時代の仏教学者で、禅の研究で英訳の著書多数。仏教や禅思想をひろく世界に紹介した。昭和24年文化勲章。昭和41年7月12日永眠(95歳)。「絶対の威力に生きて責任をもたぬものあり,名を国家と云う(昭和17年西田幾多郎への手紙)」
逆境にいて楽観せよ (出光佐三 実業家)
出光興産の創業者である彼は「不景気大いに結構。天下大乱いいじゃないか。僕は楽観主義者、人間は苦労しなければダメ。苦労すればするほど、人間立派になる。僕は努めて苦労してきた」と89歳時の発言。さらに「人間の幸福は老後にあり」と。95歳永眠
生きるということは、身も心も忙しく働かせるということです。 (飯田深雪 料理研究家)
アートフラワーの創始者でもあった彼女は、「たとえ戸棚の掃除というような小さなことであっても、気になっていたら、すぐに片づけなくてはいけません。誰も知らなくても、自分で気持ちが悪い状態にしてはいけない」と。103歳で永眠。また「人は、今やらないことは、往々にして一生やらないものです」とも。定年後何かと億劫になっている私には、耳の痛い言葉だ。
天国はすごくいいところらしい。だって、行った人が誰一人帰ってこないのだから・・・。(作者不明)
私もいずれ死ぬ、必ず死ぬ。そしてあの世へ逝った時、先に逝った妻や親に会う。その時恥ずかしくないように毎日を一生懸命生きること、残された家族と力を合わせて仲良く生きることが大事だと言われた。
私は太陽電池で動いており、妻が私のお日さんなのだ。(中坊公平 弁護士)
妻に先立たれた後、私は太陽電池で動いていたことに今気づいた。しかし気づくのが遅すぎた。中坊さんのように妻の生前中に気付くべきだった。