今年最後の名言は、本年永眠された一部の方の言葉を集めました。
☆河上和雄(ロッキード汚職事件-東京地検特捜部長)2月7日逝去(享年81歳)
「群れを飛び出しても生きていけるような人間が集団を作った時、その組織は強くなる。」
☆坂東三津五郎(歌舞伎役者)2月21日逝去 享年59歳
「自分が一生懸命に勉強したときに限り、誰かが力を貸してくれてるなと思うときがあるんですよ。」
☆桂米朝(落語家-人間国宝) 3月19日逝去 享年89歳
「本当に大切な人との出会いは 全ての過去をひっくり返す力を持っている」
☆南部陽一郎(ノーベル賞受章者)7月5日 逝去 享年94歳
「自分では語らない、理論に語らせる」
☆塩川正十郎(元国会議員)9月19日逝去(享年93歳)
「母屋(国の一般会計)でお粥をすすって一生懸命節約をしているのに、離れ(特別会計)ではコドモがすき焼きを食っておる」
☆水木しげる(漫画家)11月30日逝去(享年93歳)
「喧嘩はよせよ、腹が減るぞ」
今年の新語・流行語大賞は「爆買い」と「トリプルスリー」だったが、朝日新聞「ひととき欄」に次の声があった。『私は脳梗塞で左半身まひの要介護3である。夫は高齢者である。介護は専門家にしていただく道を選んだ。/老人ホームに入居して1年が過ぎ、実際に生活してみて、住み心地は介護職員さん次第だということが分かってきた。/できないことが多いので、介護職員さんの手を借りることが多い。必然的に「すみません」「ありがとう」「お願いします」といった言葉が多くなる。/この老人ホームに「とんでもございません」が口癖の職員さんがいる。/こんなことまでお願いして申し訳ないと恐縮しているので、「とんでもございません」と言ってくださるとホッとする。/「とんでもございません」とは、実に心地よい言葉である。この殺伐とした世の中、少しの親切にお礼を言われてこう答えたら、世の中はきっと明るくなるだろう。/今年も流行語大賞が発表されて話題になったが、「とんでもございません」が大賞になったらいいな、と夢見ている。』と。
森敦は明治45年長崎で生まれた。旧制一高を中退し横光利一に師事。昭和9年22歳の時、処女作「酩酊船」を新聞連載し注目を集めた。しかしその後中央の文壇を離れ、10年働いては10年自由な放浪をするといった生活を繰り返えす。光学機械工場、ダム建設現場、印刷工場での経験と思索が独特の森文学を生み出していく。代表作「月山」は、昭和26年山形県朝日村(現在の鶴岡市)の注連寺に滞在した時の体験をもとにした小説である。昭和49年に発表され芥川賞受賞作となる。森敦62歳だった。異色の職歴と放浪の作家・森敦の独特な死生観、人生観が語られる。
雑な仕事をすれば、次に来た職人もそれを見てつい雑な仕事をする。だから「いい仕事」をしておきたいと、石積みの職人は言う。「金を欲しうてやる仕事だが決していい仕事ではない。 ことに冬など川の中などでやる仕事は、泣くにも泣けぬつらいことがある。 子供は石工にしたくない。 しかし自分は生涯それで暮らしたい。 田舎を歩いて何でもない岸などに見事な石の積み方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。 こんなところにこの石垣を造った石工は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。 村の人以外には見てくれる人もいないのに・・・・・・」と。 (「庶民の発見」宮本常一著から)
「にしゃんた」さんはスリランカ生まれの46歳、現在日本国籍。来日(日本語勉学開始)1年で、非漢字圏出身者としては異例の日本語能力試験一級に合格。立命館大学では新聞奨学生をしながら、同学年に800人以上いた経営学部を学部総代で卒業した。多才で「七つの顔の男」ともいわれる。①スリランカ人② タレント③大学教授④落語家⑤空手家⑥子育て父⑦新聞奨学生である。共笑(ともえ)と読む造語。既存の「共生」に対して新たに提示されている概念。違いや変化といかに生きるべきかの理想形として、便利な言葉として使われる「共生」は、実際のところ、同化であったり、棲み分けであったり、下手すると排斥であったりする。関係し合う者の片方だけが笑っていることが多い。ただ共に生きるだけでは不十分。共に笑うことが大事で、その組み合わせにのみ平和と持続可能性があると言う。
「憎らしいほど強い」と言われた昭和の大横綱北の湖(62歳)が千秋楽を前に急逝した憎らしいなどと言われるようになった主な理由は、倒した相手が起き上がる際、北の湖が相手に一切手を貸さず、相手に背を向けてさっさと勝ち名乗りを受けてしまうと非難されたことに対して「自分が負けた時に相手から手を貸されたら屈辱だと思うから、自分も相手に手を貸すことはしない」と。そうした彼の人柄をよく知る角界の関係者たちは誠実な力士として高い評価を受けていたという。ご冥福をお祈りします。
国産初のジェット旅客機が先週11日初飛行に成功した。操縦桿を握った安村機長は「離陸速度に達したとき、飛行機が飛びたいと言っている感じでフワッと浮いた。安定した状態で上昇した」という。待ち焦がれていたファンの一人群馬県の杉田璋郎(80歳)さんは、「澄み切った秋の青空へゆったりと飛び立った。スリムな白地の機体。その歴史的瞬間の第一印象は、美しい!だった」。その日の日記には『「11(いい)月11(いい)日に (M)舞う如く(R)流麗に(J)上空へ……』と記したという(11/15朝日新聞「声」より)。
最近、東山動植物園(名古屋市)の雄のゴリラ「シャバーニ」がイケメンだと話題になっているが、ゴリラ研究の第一人者でもある山極氏いわく。ゴリラには優劣の意識がないと言う。喧嘩になっても仲裁が入り、対等なところで決着がつく。だから力が劣っても、強い者に媚びるところがない。一方、サルは序列社会であり、勝ち負けの世界を作り上げる。しかし、ゴリラの社会は勝ち負けという概念がない。人間社会はサルとゴリラ両方の性質があると言えるが、ゴリラからサルの社会へ傾きつつあると山極氏。
今日は、文化の日であるが「晴れの特異日」でもあるそうだ。そして我が町も今朝は晴れている。特異日とは、その前後の日と比べて偶然とは思われない程の高い確率で、特定の気象状態(天気、気温、日照時間など)が現れる日。他に晴れの特異日は、1/16、3/14、6/1。ちなみに「10月10日が東京の晴れの特異日であったことから、1964年の東京オリンピックの開会式の日に選ばれた」と言われているが、10月10日は統計的に晴れが多い日とは言えないようだ。また、台風襲来の特異日は9/17、9/26だそうだ。
1964年10月21日、円谷幸吉は東京五輪のマラソンで銅メダルを獲得した。ベルリンオリンピック以来28年振りの陸上競技メダリストとして一躍日本の英雄となった。このため次回のメキシコオリンピックに向けて、日本国民の声援と期待を受ける中怪我、故障に泣き大きなプレッシャーの中で28歳で自死した。その英雄の突然の死に日本中が驚愕した。以下遺書の全文
「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒 お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」
川端康成は、この遺書について、「相手ごと食べものごとに繰りかへされる〈美味しゆうございました〉といふ、ありきたりの言葉が、じつに純な命を生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」と語り、「千万言も尽くせぬ哀切である」と評した。