1964年10月21日、円谷幸吉は東京五輪のマラソンで銅メダルを獲得した。ベルリンオリンピック以来28年振りの陸上競技メダリストとして一躍日本の英雄となった。このため次回のメキシコオリンピックに向けて、日本国民の声援と期待を受ける中怪我、故障に泣き大きなプレッシャーの中で28歳で自死した。その英雄の突然の死に日本中が驚愕した。以下遺書の全文
「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒 お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」
川端康成は、この遺書について、「相手ごと食べものごとに繰りかへされる〈美味しゆうございました〉といふ、ありきたりの言葉が、じつに純な命を生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」と語り、「千万言も尽くせぬ哀切である」と評した。
秋は稔りと収穫のとき。そんなふうに自然と秋を迎えられる時代はよかった。秋は黄昏時というよりは、成熟のときだった。人のみならず自然にもどこか品位があった。今は、人生の秋を前にしてひとはつい悪あがきをするし、天候も異常続きで過去の経験が生きない。なんとも貧相な、このところの秋である。詩「果物」の全文。(鷲田清一) 朝日新聞「折々の言葉 9/16から」
(10/8朝日新聞「折々の言葉」から)。『3月11日(東日本大震災)の地震のあと、潰れた家の下から助けを求める手が上がっても振り向けず、彼方(かなた)に妹の家が津波に流されたのを認めても、それでも、心臓の患いで入院している夫、飼っている動物たちを案じて必死の思いで家に向かう。「どうか神様わたしを許してください」と、泣き泣き念じながら。詩人の佐々木幹郎はこのことばにじかにふれて絶句した。「東北を聴く」から。』このような彼女に看護をしてもらいたいものだ。
目標は110歳まで現役の医師を続けることだ。日野原重明さんが10月4日で104歳になられ、句集『10月4日 104歳に104句』(ブックマン社)が出版されました。「私は98歳で俳句を創めました」もう歳だから新しいことにチャレンジできないと思ったらそこで人は老いるのです。若い頃のようにはいかず、身体が不自由になっても「創める」ことさえ忘れなければ心は自由でいられます。自分の気持ちを自由に俳句にすると心が軽くなります。これからも、「創めることを忘れなければいつまでも若くある」というマルティン・ブーバーの教えを実行するのみです、と語る。